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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第一章

小籠包と足つぼと占いのワンダーランド、台湾

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※旧高雄神社跡(現忠烈祠)

 

「台湾」という言葉から、

皆さんはどんなイメージが湧くだろうか。

 

 

小籠包?マンゴーかき氷?

痛そうな足つぼマッサージ?

いやいや、四柱推命紫微斗数などの東洋占いの本場?

 

どれも正解で、どれも間違ってはいない。

 

 

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 ※日本人に人気の西子灣の芒果雪花冰。很好吃!

 

 

台湾旅行がブームになっている昨今、

上記のようなものを楽しみにして、

台湾を訪れる日本人は大勢いることだろうし、

実際、台湾の小籠包も日本で食べるより

ずっと手軽に食べられる上に美味しい。

正確に言えば、それは小籠包ではなく、

まま小籠湯包であったりするのだが、

日本人の私達にはそこは大きな問題ではない。

美味しい国、台湾。 

 

足つぼマッサージだって、石を投げたら当たるほど、

台北市内には乱立しているし、

占いだって行天宮や龍山寺に行けば

日本語が通じる台湾の占い師さんが占ってくれる。

 

安全で清潔で現代的な都市、台北。

 

 

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※廟によってはコインを入れるとおみくじが出て来る機械が。

 

私が初めて台湾を訪れたのは、

今から約25年近く前のことで、

あの頃の台北と今の台北の様子の違いには、

まさに隔世の感という言葉がピッタリくるが、

その頃から、いつか会ってみたいと思う人がいた。

 

人、という言葉は少し適切ではないかもしれない。

 

何故なら、私が会いたいと思ったのは、

「タンキー」と呼ばれる人々だったからだ。

 

 

タンキーとは一体どういう人達なのか 

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※雲林の童乩

 

タンキーは漢字で童乩と書く。

彼らは華人の間で信仰されるシャーマンである。

 

 

ウィキペディアを引用してみよう。

タンキー - Wikipedia

タンキー( 中国語: 童乩; ピン音: tóngjī;

ウェード式: t'ung-chi 閩南語台湾語潮州語:tâng-ki)は、

福建潮州台湾シャーマン霊媒師

憑依体質の者で、神の意志を人間に伝える役割を果たすとされる。

ただし、タンキーは民間信仰に非常に近い存在であるため、

日本の神仏習合と同様に仏教の諸仏、儒教の諸聖を道教神仙と同等に扱い、

その身に下ろすことが多い。このため、彼らのかかわる宗教を

「神教」という用語で呼ぶことが研究者の間で一般化している。

 

 

少し長くなるが
幻想世界神話辞典に詳しいので引用してみたい

 

 

タンキー 童乩 中国・華僑の神話・民話 :幻想世界神話辞典

またはキートン乩童ki tongとも。

名前の意味は「占いをする若者」。 


漢民族の伝承におけるシャマン的聖職者、

あるいは生き神として扱われる。

世界各地の漢民族社会で現在もみられる。

男性が多いが中には女性もいる。

巫病、突然のトランス状態になるなどの症状に見舞われ、

タンキーに神の宿り場に選ばれたとされてタンキーになるという。

タンキーになることを頑なに拒めば

心身の異常は激しくなりついには命を失う、と考えられている。

南海観音、斉天大聖等の神像の前で儀式を行い、

神が憑依するのだという。

トランス状態のタンキーとそうでない時では

信者のタンキーへの扱いが変わる。

神刀で自らの舌に傷をつけ、

流れた血で神語を記して作られた神符には

護符や灰にして飲む薬として絶大な威力があると信じられている。

 

 

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※霊験あらたかと信仰を集める関帝廟

 

元々は中国大陸全域にいたという童乩。

大陸では文化大革命が吹き荒れ、土俗的なものを排し、

様々な伝統的なものが破壊されていった。

その中で、童乩達も殆どが姿を消してしまった。

 

とはいえ、あれだけ粛清の嵐が吹き荒れた旧ソ連であっても、

人々の心にある宗教心は消せず、

土着の宗教や習俗を信仰する人々は生き残ったし、

実際2016年現在のロシアにおいて、

「我こそはキリストの生まれ変わりなり」という男を中心にした

カルト集団が幾つも存在しているし、

帝政ロシア時代からの伝統として、

人々は年中行事としての占いやまじないを忘れてはいない。

それどころかスピリチュアルビジネスですら花盛りだ。

 

ソ連と中国に挟まれたモンゴルでも同じく、

近年若い世代のシャーマンが急増していることは

耳目に新しい話題である。

(IceTopのファンなので彼らが日本語サイトに出ているのが嬉しい)

synodos.jp

 

 

そもそも広い国土を持つ中国のこと、

シャーマンというもの事態が死滅してしまった筈もなく、

こういったニュースも伝わってきている。

www.recordchina.co.jp

 

 

アジアのこういった状況の中で、

大陸においても童乩は存在しているのだろうと思われるが、

台湾においては現在でも確実に社会の中に根付いているのが

童乩なのである。

 

彼らは様々な廟にいて、神憑りになり、

時に血だらけになりながら、

人々に神の言葉を伝える。

 

その言葉の力を信じる人々の思いは強く、

人気のある童乩の所には、

遠く米国やシンガポールからもやってくるという。

 

こういった事は、台湾の南部高雄市

事務所を持った今だから知っていることであって、

その頃の私は日本の書物

少しかじった程度の知識しかなかった。

 

 

つまり、童乩はシャーマンであって

憑代になる存在だとはいっても、所謂タコとは違う。

台湾で死者の霊が降りるのは

アイィと呼ばれるまた別のシャーマンであって、

童乩には神仏のみが憑るのである。
(実際日本の東北でもイタコがとても有名なだけで
タンキーと似たような霊媒は別に存在している)」

といったくらいのことしかわかってはいなかった。

 

故に、この記事の元記事を書いていた2007年時点においても、

私には童乩とは漫画か小説に出てくるような存在でしかなかったのだ。

 

そして私はこの童乩に会ってみたかったのだった。

 

叶わぬ夢だとしても、もしや運命なのだとしたら会いたい。

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いったい何故、童乩に会いたいのか。

それは自分自身でも分からなかった。

 

単純にミーハーな興味が元だったのかもしれない。

そして、田口ランディさんが童乩に会った話を

読んでしまったせいだったのかもしれなかった。

それまで、まず「シャーマン」という存在そのものが、

私にとっては芸能人以上に

手の届かない近づきがたい存在で、

書籍か海外ドキュメンタリーフィルムの中でしか

出会うことができない存在だった。

または、ランディさんのような著名人でなければ、

会うことなどかなわないと思い込んでいた。

 

 

ところが、インターネットの普及の恩恵を

この上なくばっちり受けていた私は、

検索するという手段によって少しづつではあるものの、

様々なシャーマンと呼ばれる人たちの情報が

得られるようになりはじめていた。

その中には、海外を放浪する一般人の旅人たちが

各地のシャーマンに会った話も当然あったのだ。

それを見つけるたびに、ジャングルの奥地や、

険しい山岳の向こうに住む「聖なる人」に会いに行く自分を

夢想してしまうのを止めることができなかった。

 

もちろん、そういう人々に出会ったとして、

じゃあ聞きたいことを言いなさいと問われても、

これといって聞きたいような事は一つもなかった。

 

ただ、ただ、神意に触れる者を、

自分の目で実際に見て、その空気を吸いたかった。

 

おこがましくも私は、

見えない世界と触れ合う人々、

「自分と同じ」人に出会いたいと、

心の中で長い間熱望していたのだった。

 

偽物だと言われたい欲望 本物だと言われたい欲望

 

「私には審神者がいない。

だから私は全てを自分で判断するしかない。」

ということが、当時の私にとって、

どれほどの重圧であったことだろう。

月日が流れた今でも、

あの頃の苦しみの痕跡が心には残っている。

 

当時の私は、

(もしかしたら私に降る存在は
世間が是としてこなかった”もの”かもしれない。
いや単なるやはり病気の現われかもしれない。
病気ですらなく、ただの妄想かもしれないのだ。)

という自分への疑いを捨て切る事が

どうしてもできなかった。

 

韓国の巫堂、台湾の童乩、
シベリアのサマン、沖縄のユタ・・・
何でもいい、誰でもいい、

私は彼らと直接会ってみたかったのだ。

会うだけでいい。

口をきけなくてもいい。
ただ、その様を見てみたかった。


そして。

 

そしてもしかしたら。

 

もしかしたら、

「オマエのは違うのだ」と、

「オマエのはただの妄想」で、

「他人様を騙して金を巻き上げているのだ」と、

そう言ってくれるのではないかと期待していた。

実際そのように糾弾されたなら、

自分がしでかしてきたことの恐ろしさに、

雷にでも打たれたようなショックを受けるに決っているのに。

そうであるにも関わらず、私は心のどこかで、

「オマエは違うのだ」というその一言を、

苛烈な糾弾をされることを、期待していたのだった。

 

 

そして、その「誰かに出会いたい」という願いは、

台湾で童乩に会ったというランディさんの本を読んだことと、

ちょうど仕事で台湾へ向かう事になっていたことで、

形ある願いへと変わっていったのだろう。

 

上記のようなものは、その頃の心の動きとして

実際に思っていたことではあるけれど、

一方、童乩に会いたい理由には、

より現実的で切実なものもあった。

 

それはこの時、私とともに台湾へ行く

東京在住のクライアントTさんを

童乩に会わせてあげたいと考えていたのである。

Tさんは、その前世が台北であったということから、

ぜひその場所を一緒に訪れてほしいと私に依頼をしたのだった。

Tさんの母はこの頃、かなり重い病にかかっていた。

彼女は母の事で仕事の事で自分の未来に思い悩んでいた。

私は自分のクライアントではあるものの、

できればセカンドオブザーバーの意見のようなものを

彼女に伝えることができたらと思っていた。

けれど、なかなか、私自身がこの人ならと思えるような

セカンドオブザーバーを見つけることはできてはいなかった。

せっかく台湾まで行くのだし、と、

Tさんが童乩と出会えたら良いのにと私は願っていたのである。

ランディさんが出会ったのが、

病気治しの得意な童乩だった、というのも多分影響していたのだろう。 

 

しかし、私達には勿論何のツテもない上、中国語もできない。

日本を出発する時点ではただの夢物語でしかなかった。

 

私は成田発桃園行きの飛行機に乗り、
iPodから流れるSGwannabeの哀愁漂うアリラン

エンドレスで聞きながら目を瞑る。

 

会えるなら会える。
会えないなら今は会えない。
でも 会えるような気がする。
何故かは分からないけど
そんな気がする・・・。

 

 

一路台北へと向かいながら、

久しぶりの台北と、そしてまだ見ぬ童乩
一人思いを馳せていた。

 

《第二章へ続く》

 

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