霊能者 火水ハヌルの全方向スピリチュアル

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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第二章

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※旗津-新光碼頭を結ぶ船上から西子灣方面を望む

 

昨日第一章をアップさせていただきました。

リライトと言うより、改変と言った方が良いくらい、

以前ブログに書いたものとは変わってしまった気がします。

つまり、確かに自分の体験なのだけれども、

もう少し客観的に表現できるようになったという事かなと。

しかし、10年の月日が経っても、こうして書き出せば、

あの時の事は昨日の事のように思い出せるのですから、

「年を取ると最近の事は忘れても昔の事は思い出せる」というのは

本当なんなんだなぁとシミジミしたりして。

 

透視能力開発講座の福岡講座は今週末です

タンキー話の第二章の前に、まずこちらを先に。

 

千樹澪さんがこんな素敵な告知を書いてくださいました。

ameblo.jp

 

(私は単なるでっかいだけの田舎のオバチャンですんで褒めすぎですよー!汗) 

澪さんは、名古屋のイルエルさんでお目にかかった方も多いかも?

いつも美味しいお茶で労ってくださる澪さん、

本当に有難うございます!

 

 

 12/10(土)13時〜 福岡開催です。お近くの方ぜひ♪

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来春1/15(日)13時〜 東京開催です。残席10ですのでお急ぎを!

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ということで。お待たせしました。

第二章です。

今回も長文です。

どうぞごゆっくりお楽しみください。

hanuru.hatenablog.com

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第二章

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※台北駅

 

秋の日本を飛び立ち、

台北に到着して数日経った。

 

いつ来ても台湾は暑い。

日本よりずっと南にあるのだから、当然と言えば当然だ。

しかし、この時の台北はちょうど寒波が来ていた。

とはいえ、日差しはポカポカと温かく、

私にとっては春の日差しのようだった。

・・・それも汗ばむ陽気の。

温かいというよりも、いっそ暑かった。

 

寒さに慣れていない台湾の人々は、

ダウンコートを着込みブーツを履くなど重装備をしていて、

私の目にはまるで雪山登山に行くようにしか見えない。

薄着の私は彼らからすれば季節外れの変な人である。

そんな私でも、やはり太陽が落ちると一気に寒さを感じて、

美味しい物で温まりたくなる。

高雄に慣れた今ならば、高雄人が言うとおり、

確かに台北は「寒い」と思うのだけれども、

当時はまだ台北も「南国の都市」という意識が強かったし、

実際私には暑かったのである。そして、その分だけ、

昼と夜の寒暖の差が身に沁みて、疲れてしまうのだった。

 

 台北、偶然という名前の運命が回り出した夜

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※金龍の飲茶は日本人好みです(この画像と本文は無関係です念のため)

 

その日、私とクライアントのTさんは、

市内の某ホテルへとやってきていた。

 

日本で予めおこなっていた私の霊視の結果によれば、

このホテルのある場所はTさんにとっては、

非常に重要な意味を持つ場所であった為、

この場所へ彼女を連れてくる事そのものが、

旅の目的のひとつでもあった。

 

本来は、昼間に訪れる予定にしていたものが、

諸事情から時間がずれ込んでしまった為、

薄着の私達は夕暮れの風に冷え疲れた体を暖めようと、

仕方なくホテル内のレストランで

食事を取ることにした。

 

仕方なくとはいえ、

窓越しに台北の夜を眺められる

有名高級レストランである。

「仕方ない」という言葉は失礼過ぎるほどだった。

 

上質なレストランが醸し出す豊かな雰囲気と

目にも鮮やかな美味しいお料理が、

異国の夜の風で冷え疲れた心と体に

活力を与えてくれていた。

かつて夢見たような貧乏旅行とはまるで違ったけれども、

普段、慎ましやかな生活を送っている私にとって、

こういう所はツアーでしか来られない場所だったのだから。

 

当時、まだ異国をひとり歩きする事に

慣れていなかった私にとっては、

「有名」だとか「高級」だとかいう部分ではなく、

気軽に地元のファミレスにでも来るかの如く

予約も無しに外国のレストランへふらりと食べに立ち寄るという、

まるで旅慣れた女子とでもいうようなシチュエーションに

心を少し浮き立たせていたのである。

 

これも、2016年の今では、LCCが飛び、

場合によっては日帰りもできるほど、

気軽に台湾を訪れることができる今では、

あまりにも微笑ましいような話だ。

こうして読み返してみると、あの頃の自分について、

なんともはや大袈裟な事か、とそう思うのだけれども、

当時の私にしてみれば、プライベートの遊びでなど

外国へ行けるような余裕など無く・・・。

(勿論、これは今でも変わっていない。)

だからこれは、その頃の偽らざる心情なのである。

 

運命的な黄さんとの出会い

 

ひととき楽しい時間を過ごした後、

私とTさんはレストランを後にし、

ホテル内の土産物屋を冷やかすことにした。

 

楽しく眺めながら歩いているうちに、

ある伝統的な招福の飾り物をおいている一軒で

何か気に入ったものがあったらしきTさんが

店主と値段の交渉をし始めていた。

 

これといって買う気もなかった私は、

Tさんを待つ間ぶらぶらと周辺をふらつくことにした。

しばらくウロウロしていると、ふと、

斜め前の土産物屋のおばさんが、

そっと柱の影に隠れるようにして

私を手招きしているのに気がついた。

並んでいる土産物屋は、どの店も似たり寄ったりの品揃えで、

来た客を奪い合って商売をしているらしい。

ああ、客引きかとピンと来つつ、暇を持て余していたので、

私はおばさんの手招きに応じることにした。

 

すると近寄った私にすかさずおばさんは小声で素早く

「あちらの店より安くするから、

こっそりトモダチ連れてらっしゃい」

目配せをしながら囁きかけてくる。

 

この時なぜだか、その「案の定の台詞」に、

私はなんだかかえって微笑ましい気がして、

Tさんをおばさんの所へ呼んであげることにした。

いづれにせよ、結局どのお店にしても、

並べてあるものは大差ないのだ。

安くしてもらえるなら、それだけ、

Tさんが得するだけなのだから。

私に呼ばれたTさんは、しばらくの間おばさんと

あーだーこーだと言い合った挙句、この店で、

かなり大量のお土産をまとめ買いすることに決めた。

Tさんも会社でばら撒く用のちょっとしたお土産が欲しく、

それも数が必要だったし、おばさんの提示した価格も、

さっきのお店の値段を聞いてから

それより全て安くしたものだったから、

確かに「あっちより安くする」というのも嘘ではなかった。

なにより、Tさん自身が、

値引き交渉混じりの無駄話をしているうちに、

このおばさんの雰囲気がなんとなく気に入ったようだった。

 

すると、土産物屋のおばさんは、

台湾民芸調の素敵な小箱を取り出すと、

これはサービスねとにっこり微笑んで、

「荷物の邪魔にならなければ、

これにお土産を入れて差し上げます」と

流暢な日本語で話しかけてくれた。

 

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※リージェント台北の前にあった鳥さん

 

すっかり打ち解けた私達に、

商売上手な土産物屋のおばさんは、

その名を黄(仮名)だと名乗り、

あなたたちは仕事は何をしているのかと尋ねてきた。

 

まっすぐに私を見る黄さんの目に、

私は一瞬ぐっと答えに詰まってしまった。

 

こんな海外にまで「仕事」として来ていたにも関わらず、

私はどうしても自分の「仕事」を職業として語るには、

気恥ずかしさばかりが先に立ち、口ごもった挙句に、

顔を真っ赤に染めてしまった。

 

月日が流れた今でも、

私のこういう部分はあまり変わっていない。

ちょっとした集まりで自己紹介を求められるたびに、

いつもいたたまれないような、情けないような、

そんな気持ちになってしまうのだ。

その思いは、今と比較するとこの当時は、

百倍、いや千倍も強かったかもしれない。

 

「占い師? です彼女は。」

 

答えない私を振り返りながら、

変わって答えたTさんのその言葉を聞いても

黄さんはその意味がよくわからないようで、

うーん?と首を捻っている。

 

Tさんも、私の事を占い師だとは思っていないけれど、

一体なんと説明すれば良いのか分からなかったようだった。

その様子を見ているうち、私は何故か覚悟を決めた。

それが何の覚悟かもわからないままに。

 

「私は日本のタンキーです」

 

何故この時、いつものように、

適当に誤魔化さなかったのか。

今思い返してみても、わからない。

 

「私は日本のタンキーです」

 

それが正しい答えなのか分からなかった。

 

タンキー?チートン?

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高雄市図書館の文化中心分館前の 九曲黄河

「タンキー?」

黄さんにはその言葉もうまく伝わらないようだった。

 

そこで私はいつも持ち歩いている手帳を取り出すと、

適当に開いたページにボールペンで、

 

童乩

 

と、大きく書いて見せた。

 

今だったら、「命理」と書けば

占いだと通じると分かっている。

けれどこの頃は、まだそんな事すら分かっていなかった。

まして、自分の事をなんと言えばいいのかなんて、

そんな事を現地で聞かれるとは

予想もしていなかったのだからわかるはずもなかった。

 

何故なら口コミで私の事を知った人は、

私と接触する時には既に私が何者かを知っていたし、

あえて、私が何かなんて、

これまで言う必要がなかったのだ。

ただ、この訪台の際は、1%の期待を込めて、

「童乩」という文字だけは覚えて来ていたのだった。

 

黄さんは、私が書いた文字を暫くぼーっと眺めていた。

そして唐突にはっとした表情で、

 

「チートン!チートンね!あなたチートンですか!?」

 

と、勢いづいて大きな声を出した。

 

「チートン?あ・・え・・とタンキー・・?

タン・・キー・・キータン?キータンというのですか?

こういう人の事です」

 

更に手帳に『霊能力』『霊視』と書き連ねてみる。

 

「おお!そうです!霊能です!!台湾ではチートン言います!

え!?あなた、そうなのですか!?」

 

驚く彼女に、私は恥ずかしさで死にそうになりながら、

自分が日本で童乩をしている事、台湾の童乩に会いに来た事、
勿論童乩の知り合いなどまったくいない事、

そして会う手立てが無くてどうしてよいか分からない事を

簡単に説明をした。

 

実際の台湾へ来た目的は、既に第一章で書いたように、

童乩に会う為というわけではなかった。

台北での個人セッションと、Tさんの因縁断ちの為に、

日本を飛び立ってきたというのが本当の理由だ。

ましてや、私が日本の童乩? そんな筈も無かった。

何しろ、童乩についてろくろく知識もないのだ。

童乩(タンキー)ではなく乩童(チートン)と言うのだということすら、

黄さんの言葉で初めて知ったくらいだ。

(このチートンという音も、

その時の私にはそう聞こえたというだけで、

昨日の記事で引用した幻想世界神話辞典の

乩童ki tongがそのように聞こえたのだろうと思われる)

 

会ったこともない童乩という人たちと

私が同じなんて筈がない。

ただ、中国語ができないばかりに、

通じそうな言葉を言うしか無かったのだった。

幾ら黄さんが日本語が流暢だとはいえ、

それはあくまでも通常の買い物に関する事や、

それに類する日常会話的な事に限られていて、

占い師という言葉ですらピンと来てはいなかった。

こんな内容の話は普段買い物に来た観光客とは

したことがなかったのだろうと想像された。

 

けれど。口から出てしまった。

なんとなく。本当になんとなく。

覚悟と書いたけれど、

言葉にすればそんな言葉しか嵌められないだけ。

実際は、まるでぽんっと背中を突然押されて

道へ飛び出した子供みたいなもので、

何かわからぬままに口から言葉が出てしまった、

通常だったらなら、それですらも、

強烈な自意識が押しとどめていただろう。

ところが、旅の疲れで気が緩んでいるのか、

二度と会う筈のない人だと思ったのか、

日本でだったら決して言わないような事を

冷や汗をかきながらだとしても、

私は言っていたのだった。

 

それはきっと、今思えば、

自分の中にあった密かな期待が、

そうさせてしまったのだろう。

 

童乩に会ってみたい。

台湾に行ったら、会えるかもしれない。

 

そんな気持ちが。

 

けれど、会える筈なんかないとも思っていたのだ。

いや、会える筈なんかないのだ。

例えば、中部国際空港で、

突然誰かにイタコに会いたいと言われても、

青森に行ったこともなく、知り合いもいない私には

どうしてやることもできない。

(2016年の私ならネットで情報を集めて

伝える事はできるかもしれないが)

 

それと同じで、いくら台湾に来たからといって、

いくら台湾人の人と知り合ったからといって、

闇雲に童乩に会いたいと言って回っても

そんなの無理に決まってるだろうと思っていた。

だから、それまでに何人か台湾人の知り合いはできていたけれど、

一度も童乩の話をしたことはなかったのだった。

 

だから、こうして台湾人の黄さんに

うっかり話し始めてしまったけれど、

私の思いを全て説明するには時間がかかるし、

彼女が伝えたい事をどれくらい理解できるのか、

どの程度日本語が出来るのかさえわからなかった。

知り合ってほんの15分程度しか経っていないのだから

それも当たり前である。

そして黄さんにとって私達はただふらっと来た観光客だ。

これ以上話したってメリットなんかないのだ。

だから説明はしたものの、

わけのわからない事を言う日本人と認定されて、

あらそうなの、と、雑談としてスルーされ、

あっさり話は終わるだろうと思った。


明日、臺灣の神様の特別な日です!!

 

「会えますよ!私、童よく知ってます!」

 

驚いた。

 

なんということだ。耳を疑った。

「私が会わせてあげますよ!

私、よく童に会ったことあります!

会えるか調べてあげますからちょっと待って。

電話今します!」

 

目の前で電話をかけ始めた黄さんの中国語を聞きながら、

私はあまりの展開に驚き、Tさんと二人、

ただただ、凄い、凄い、と言い合っていた。

それ以外言葉が見つからなかった。

 

まさか、こんな事が起こるなんて。

本当に会えるかもしれないだなんて。

 

こんな物語みたいな、都合の良い事が起こるものだろうか?

 

ふと自分が、漫画かドラマの中の人物で、

今ここで起こっていることが全て、

誰かの創作した世界での出来事なのではないだろうかと

そんな奇妙な考えが沸いてくる。

 

「残念です。」

「私の知ってる童忙しいです。会えません。」

 

電話を終えた黄さんは、

残念そうに私に告げた。

その申し訳なさそうな声色が逆に、

ああ、これはやっぱり現実の出来事なんだと思えた。

そうだ、そんな都合よくことが運ぶ筈がない。

現実とはこういうものだ。

 

しかし彼女はこう続けた。

 

「私のお姉さん、他の童知ってますから、

聞いてもらいます。そして私明日休みなんですよ!

明日会えるだったら私一緒に行ってあげます。

童台湾の言葉しか話せません。私通訳してあげますよ。

だから私からの電話待ってください。必ず電話しますから!」


2時間後、私は黄さんからの電話を受けた。

 

「ハヌルさん、大丈夫ですよ!

明日、台湾の神様の特別な日でした!

だから会えるですよ!童会えるです!」

こうして翌日の夜、

私とTさんは童がいるという

とある駅近くの廟へと訪ねていく事になったのである。


《第三章へ続く》

 

年明けのオカルトお茶会いかがでしょう 

東京講座の前日は、愛知県春日井市でお茶会です。

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