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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第四章

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高雄蓮池潭の四面仏。

仏とあるが元々はブラフマーで4つの顔それぞれに別のご利益がある。

 

台湾のタンキーと私シリーズ目次

初めての方は第一章から順番にお読みください。

hanuru.hatenablog.com

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hanuru.hatenablog.com

 

では第四章はじまりはじまり。

 

シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第四章 

 

昔ながらの日本の生鮮食品店のごとく

ダンボールが並ぶ『正義宮』の入り口を入る。

そして私は、改めて、黄さんから、

この人が乩童だと教えられた人物を見た。

 

坊主頭に太鼓腹の男が

咥え煙草をして立っている。

口から、鼻から、

もくもくと吐き出されるその煙。

まるで、擬人化された蒸気機関車だ。

 

 

いや、その第一印象は、書物の中に著された

台湾の伝説的シャーマンというより・・・・。

 

 

どうみても『裸の大将』by芦屋雁之助であった。

 

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http://askpanda.cc/ask/star/detail.php?pid=2460&imgsize=s

 

放浪しているのはどちらかというと私の方なれど。 

 何しろ、上半身は、すっかりびろびろと伸びた

どう見ても普通は下着として着用するランニングシャツで、

なんとかかんとか色は白を保っているなという具合。

その裾からは、長々と解れた糸が垂れているのが見える。

ひと目で、随分着古したものだろうなとわかる代物だ。

短パンからぬっと突き出している肥えた素足は、

季節はずれのビニールサンダルに突っ込まれてはいるものの、

その踵はすっかり擦り切れており、

飛び出した趾が地べたに触れそうになっていた。

いや、触れているのかもしれない。

 

何よりもその顔に浮かんでいる表情が独特で、

あえて例えるとするならば・・・そう、それは、

昔みた仙台四郎の写真を思い起こさせるような・・・・。

 

そんなどこか常人とは違う雰囲気を醸し出している。

それがまた、『裸の大将』を思い起こさせていたのである。

 

 

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仙台四郎 - Wikipedia

 

後から考えてみれば、「福の神」と呼ばれた仙台四郎も、

この童乩も、どちらも『神に愛されし異人』なのだと、

こじつけて考える事もできそうなのだけれど、

その時はただ、チートン(乩童)と名指された人の人相風体に、

なにとはない異様な感じを感じ取っていたに過ぎなかった。

 

 

童乩のご神託を書く前に大事なことをひとつ。 

ところで今回私が訪れたこの正義宮では、

童乩による神のお伺いをお願いしても、

その場で即座に答えをいただけるというわけではなかった。

その流れをまずあらかた書いておこうと思う。

 

また今後このブログの中では、

日本での一般的な呼び方であるタンキーに準じ、

基本的に童乩という漢字表記で統一していきたいと思うものの、

黄さんなど現地の方が会話の中で「乩童」と呼んだ部分に関しては

そのまま乩童と書いておきたい。

読んでくださる方には混乱を招くかもしれないが、

当時の現地での様子を出来る限り残しておきたいので、

そのあたりはお許し願いたいと思う。

 

また、これから私が記す一連の流れは、

あくまでも私がこの正義宮で体験したひとつの事例であって、

よその廟や他の童乩の場合とは相違点があるかもしれない事も

お含みおきいただきたいと思う。

2016年現在では童乩の神託の様子は動画サイトにいくつも上がっていて、

それを見ると、私が体験した事とは、

とても似通っていると思う事は確かに多い。

だからといって、その現場で確認をしているわけでもなし、

これが台湾での一般的な童乩の形であるかは

その後他の童乩の元へ行っていない私では

今のところなんとも言えないのである。

 

真夜中過ぎに始まる儀式 

 

まず、重要な点としては、

童乩はあくまで仲介者である。

依頼人本人が神様へ自分の相談事を相談しなくては、

話が始まらないのである。(詳細は後述)

そしてその相談は二日がかりで行われる。

 

私の場合、初日は台湾時間の23時頃始まり、

午前1時頃に終了した。

そして二日目もやはり23時頃始まっている。

これはつまりこの儀式は、子の刻に始まるという事なのだろうが、

当時は暦法について頭が回らなかったので未確認なのが残念である。

ただ、基本的にこの神事は台湾全土において、

夜間に行われることが一般的であると黄さんから聞かされた覚えがある。

 

しかし、これも月日が経った現在、

動画サイトに上がっている様々な動画を見れば、

明るい昼間に行われているものもある。

この時の黄さんの話が違っているのか、私が聞き取り間違えたのか、

それとも時代が変わったからなのか、

はたまた神格で変わるのか、陰廟と陽廟で違いがあるのか、

そのあたりはまったくわからない。

今ならばもう少し冷静に聞き取りができたかもしれないが、

何しろその時はあれよあれよと流れに飲み込まれてしまい

情けない事に観察者としての自分よりも、

当事者としての自分に完全に支配されてしまっていた。

 

もちろん、このような事になるとは予想していなかったし、

私自身も今よりも更に知識が足りない時代なので、

仕方がないといえば仕方がないのであるが・・。

 

ただ、当事者として経験できた分だけ、

これだけ年月を経ても生々しくその記憶が残っているのではないか、

そんな風にも思えるのである。

 

台湾の廟には陰廟と陽廟がある。

これはあまり日本では知られていない事かもしれない。

非常に単純に書くならば、陰廟は亡くなった方をお祀りする廟であり、

お願い事を叶えてくれる力が強いと言う人もいる。

 

台湾の文化と日本の文化では死霊に対する考え方に違いがあり、

例えば台湾では浮遊霊に功徳を施し、その見返りとして

現世的幸運をいただこうという考え方がある。

また霊の事を本来は鬼と呼ぶのだが、あえてそう呼ばず、

「好兄弟」と呼んだりするのである。

 

対して陽廟は、正神と呼ばれる三清道祖などをお祀りする廟である。

この記事で私が訪れている正義宮は、

天の最高神である玉皇上帝をお祀りする廟なので陽廟になる。

つまり、この童乩は玉皇上帝の答えを伝えてくれるのである。

(この陰廟と陽廟については、

またこのシリーズが終了してから改めて書いてみたいと思う。)

 

 台湾のご神託の流れはこんな感じで進んでいくのでした。

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※神様に捧げるお金(金紙)は、神様毎に様々な種類がある。

(画像http://www.ettoday.net/news/20130403/188047.htm

 

この神託の始まりは、まず、

相談者が神に対し花や紙幣などを捧げる所からスタートする。

私が正義宮を生鮮食品店と勘違いした原因の、

あの入り口にあったダンボールに入っていた花は、

このために用意された花であったのだった。

 

そして、日本の神仏とは違い、台湾の神様は、

人間の使う金銭をそのままでは受け取る事ができない。

その為上の画像のような、

金紙という神様用のお金と交換する必要がある。

この花と金紙をまず祭壇へ供えるのだ。

それから火を点けた線香を手に持ち、神々へ礼を尽くしてまわり、

自らの悩みや願いを訴えるのである。

 

金紙は廟の中で購入する事ができ、

値段はサイズで変わるがおよそ50~100元ほどである。 

金紙だけを購入することもできるし、

大抵は線香もセットになったものが置いてあるので、

私はセットのものを買う事が多い。

よほど小さな廟でない限り、

大抵廟には山ほどの神様が祀られている。

そして神様を廻るには順番が定められており、

それぞれに線香を1〜3本供えて行くと、

数がぴったりになるようになっている。

 

順番はお参りする廟の廟守りさんにお尋ねすれば

快く教えてくださるが、まずは観光地でもない限り、

中国語or台湾語しか通じないと考えて

訪れたほうが良いだろう。

 

 

また、これも後日であるが、

日本の神とは違い、台湾の神様は、

「お願いしてなんぼ」とでも言うようなもので、

とにかくこちら側が主張することが肝心だと

台湾の友人に教えられた。

さすが運命を受容するのではなく、

浮遊霊でさえ現世利益に活用する国、台湾である。

 

さて、願い事を訴えたら、

その後は先程捧げた金紙を金爐にて火に焚べ燃やし

天の神々の元へと送る。

これを拝拝(パイパイ)という。

 

勿論、「拝拝」は文字通り拝む事なので、

単にお参りするだけのことも拝拝と言うが、

その場合は、日本語でなら参拝と書くのが

一番適当なのかもしれない。

 

台湾の神降ろしの世界を覗いてみる。

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※東港東隆宮にて私が金爐に焚べている様子。

金爐そのものはこのように立派なものとは限らず、小さなドラム缶である場合もある。

その場合は金爐とはまるで気づかない事もあり、日本人観光客の中には

時折その上に物を置いたりしていることもある。ご注意されたし。

 

翌日再び前日と同じように拝拝を行う。

その次に童乩による神事が行われ、そして神懸かった童乩が、

前日の神への訴えの答えを神より拝領するのである。

その答えは一旦、童乩のそばにいるサポーターのような男性によって

口述筆記の形で書き留められた後、

相談者へはその男性から様々な解説を含めて伝えられるのだ。

 

今回の私達の場合は、そもそも中国語も台湾語もできない為、

 

童乩→ サポーター→ 黄さん→ 私とTさん 

 

という流れで伝達されることとなった。

 

日本で一般的になっているスピリチュアルの世界では、

霊的存在とスピリチュアリスト(チャネラー、カウンセラー等々)が

直接交流し得たものを、クライアントへ直接伝える形式が

殆どではないだろうか。

私もこの時体験するまで、こういったやり方があるということは

まったく不勉強で知らなかったが、

後に、このようなやり方は、

実は広くアジア地域において行われてきたことを知った。

 

正義宮においては、童乩とサポーターの男性の他に、

修行中なのだろうかと思わせる中年女性も神懸かりの最中についていた。

口述筆記した内容を男性がうまく解釈できないでいる時には、

その女性へ質問をして解釈を聞いて私達へと伝達してくれていたので、

今思えば、あれはサポーターというより、

3人でひとつのチームという形式だったのだろうと思う。

 

その頃の私は、神憑りになる人が

場を支配する霊的上位者であると思っていたので、

その男性と女性を修行中のサポーターか、

童乩ほど能力がない人だと勝手に思っただけであって、

後にシャーマニズムについて知っていくにつけ、

彼らが童乩よりも霊的能力が下位だったとは言えないのだと

考えるようになっている。

 

 国が変わればお供え物もこんなに違うわけで。

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※こういったビスケットなどが供えられている事も多い。

一番よく見かけたのはなんと、台湾パッケージの「きのこの山」である。

 

先程花を供えると書いたが、花のお供え物としては、

私が正義宮に着いた最初に目にした、

花首だけにしたフューシャピンクの蘭の花や、

同じく花首だけにしたジャスミンを大きい緑の葉に乗せたものが

一番お値打ちで一般的なものだと思われる。

これと同じものは、一大観光地である行天宮や龍山寺でも、

入り口あたりでよく売られているのを見かける事ができる。

また台北の市街地のちょっとした廟であれば、

入り口付近で売られているのをあちこちで見かけることができる。

(たまたまなのか、これについては私は高雄ではあまり見かけない)

もちろん、もっと立派な花束を供えられているのもよく見かける。

 

花の他は、ビスケットなどのお菓子、ハム、毛をむしった鶏など、

なんでもありといえばありなのだけれど、

そういえば行天宮では山盛りに盛られた飴玉も見かけたりする。

正義宮にいた方々の話しによると、

台湾の神様は米やお酒を供えるよりも、生肉や鮮魚のほうが喜ぶので、

供えれば必ずご利益があるとのことだった。

 

そして人々は神様に対して、崇敬の念が強い。

いまから10年も前の話しになるが、

ある雨の日に龍山寺を訪れた際、かなりの雨が降っていた。

ところが地元の方々は門の所で一旦差してきた傘を地面に置き、

まず頭を垂れ、それから傘を閉じて中に入っていかれていた。

私が見ている限りでは、みな濡れる事を厭わないで、

閉じた傘を片手に持ち拝んでいらっしゃった。

 

 変わらないようでいて、なんとなく変わっていく日本人の作法

この頃、既に日本ではパワースポット巡りが流行っていて、

台湾ツアーの目玉として龍山寺にやってくる女性が増え始めていた。

赤い糸を結ぶ縁結びの神がいるという触れ込みでやってくる彼女たちが、

ただ一目散に目当ての神の所へだけ突進していくのを

私はよく目にしたものだった。

そして、この雨の日にもやはり、幸せを願う日本人女性のグループが

ガイドに連れられやってきたのだけれど、

20人ほどでやってきた彼女たちは、勿論傘を差したまま、

キャアキャアと喧びしく侵入してきたのだった。

静かに神に祈る台湾の人々に対し、

私は同じ日本人としてなんだかとても悲しい気持ちになり、

そしていたたまれない思いがして足早に立ち去った。

あの頃は、日本国内のパワースポット巡りですらも、

眉を顰められるような事をする人がいた時代だから、

仕方がなかったのかもしれない。

 

そう思うと、昨今、日本で神社仏閣に参る際、

人々が入り口の門の前で深々と礼をするのを見るにつけ、

随分と変化したのだなあと思う。

先日の福岡でも、鳥居の前で皆さん頭をお下げになり、

静々とお参りをなさっておいでであったし、

そういえば伊勢でも、私の横にいた年配の方が、

「以前はこのようではなかったが、良い流行が流行って嬉しいものだ。」と

そう呟いていらっしゃった。

今回これを書きながら、しみじみと、

世の中はそうっと変わっていくのだなあと思う。

 
《第五章へ続く》

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