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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第六章

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高雄佛光山内浄土洞窟の出口に置かれた転法輪。

回すごとに仏の名を唱える。

浄土洞窟には、数限りない仏像が置かれており、

その中を過ぎた後はまるで人間界へ生まれて出るような

不思議な気持ちになった。

 

■台湾シャーマンシリーズ:目次■

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第六章

 

「ㄋㄌㄍㄎㄏㄐㄆㄇㄈㄉㄊ!」

「ㄨㄩㄚㄛㄜㄝㄞㄟㄠㄡㄢㄣㄤㄥㄦ!!」

 

童乩の邸さん(仮名)が大声で何かを叫び始めた。

それは中国語も台湾語もわからない私には、

言葉としては一切聞き取ることさえできない謎の叫びだった。

(※上記の文字は台湾で使用される注音符号を適当に羅列して、

 その分からない雰囲気を表現しただけのものなので意味はない。

台湾南部では漢字ではなくこの注音で道路表記されている所もある。)

 

 

ところが、私には何故だかこの謎の言葉が、

何を言っているのか分かるような気がした。

耳は音を言葉として聞き取れないのに、

脳内でそれがダイレクトに意味へと変換されているような

そんな奇妙な感覚だった。

一方、肉の耳に聞こえるのには、

音としては台湾語に似ているような気がした。

 中国語というものについてざっくりおさらいしよう。

ここで台湾の言葉について少し説明をしておこうと思う。

 

一般的な日本の人は「台湾は中国語」と、

単純に考えておいでではないかと思う。

それは間違ってはいないけれど、正解ではない。

 

まず、誤解を恐れないで言うのならば、

中国語という言葉は、かなり種類が多い。

 

一番使用する人が多く住む中国という国そのものが、

相当に広大な国であり、同じ国内で移動するというだけで、

丸一日以上かかるような所はざらである。

現代のように交通アクセスが便利になった時代でもこうなのだ。

それだけ広い国では、それぞれのエリア独特の方言も強烈になる。

 

香港はホンコン?シャンガン?ヒョーンゴーン?

私達に一番馴染みが深いと思われる中国の都市、

香港で使われる言葉は広東語。

一方首都北京で使われる言葉は北京語で、

日本人旅行者が多い上海で使われる言葉は上海語である。

広東語と北京語を聴き比べたなら、

まるで別の言語のように感じる人もいるかもしれない。

例えば、私達は香港と書いて

ホンコンと読むのが普通だと思っているけれど、

空港などで気をつけて聴いていれば、

「シャンガン(XiangGang)」とアナウンスされていることに気がつくだろう。

広東語ではヒョーンゴーンであり、

実はホンコンは英語読み基準の読み方らしいのだが、

いずれにせよ普通話では香港はホンコンではないのである。

 

中国語には普通話がある。

香港でなくとも、私の知り合いの西安人は、

来日する際に上海の空港で乗り換えをするのだが、

上海人に自分の中国語がまったく通じないと言っている。

同じ中国育ち同士の国内でもそうなのである。

日本でも、老齢の沖縄の方や東北の方の言葉は、

字幕がなければ一切わからないという人も多い筈だ。

それがもっと一般的な状態になっていると

想像してもらえるだろうか。

(ざっくりの理解の為にはそんな感じで)

 

 

そこで大陸で人々が標準語として使う言葉が普通話であり、

私達が報道で中国人アナウンサーがニュース原稿を読んでいる時などに

耳にしているあの言葉がそれにあたる。

北京語に似ているが少し違うという人もいるが、

私のような中国語が分からない者にはその違いもよくわからない。

日本の東京弁と標準語がイコールではない、

というのと同じ事なのだろう。

 

華人は世界各地に広がっており、

それぞれの国でそれぞれの言葉の違いが存在している。

例えば、シンガポールとマレーシアでもそうだし、

台湾もそのうちのひとつになる。

 

台湾では普通話講座がTVで流れていた。

台湾で一般的に使われているのは、

台湾国語というもので、これと普通話も違う。

人によっては台湾華語と呼ぶ人もいる。

このシャーマンシリーズの記事の頃は、

まるで日本の教育チャンネルで流れている外国語講座のように

台湾のTV番組で台湾人のための普通話講座が流れていて、

中国語はひとつだと思っていた私は驚いた記憶がある。

単語ひとつがまったく違ったり、漢字は同じでも読み方が違ったりする。

 

ただし台湾人は学校で私達が英語を学ぶように普通話を学ぶので、

北京語や普通話が出来る人なら

台湾で会話にこまる事はほぼないだろう。

台湾独自の台湾語や原住民語群

この他に、台湾の南部では特に、

元々台湾で話されていた台湾語(台湾台語)を使う人が多くおり、

そして各地にすむ原住民がそれぞれの独自の言葉

(タイヤル語群、パイワン語群など)を持っている。

台湾は実は昔から非常に多民族が住む島で、

日本統治時代日本語を強制されたというだけでなく

それぞれの部族の会話のための共通語として機能した部分もあると

台湾友から教えられた。

ひとつの国の中で共通言語が必要とされ使用されるという事は

かつての明治維新の際の日本でもそうだったと思うけれど、

現代の日本に住む私にとってはその友の言葉は新鮮な驚きだった。

そして今の台湾国語はそういった多種多様な人々をつなぐ標準語で、

台湾台語は南部の中年以上の人が多く使う言葉になっている。

 

先程、私が、童乩の邸さんが叫ぶ言葉について

台湾語と書いたのは、この台湾台語のことを指している。

このシリーズでは、この後も簡易的に、

台湾国語を中国語と書き、台湾台語の事を台湾語

表記を統一して書いていきたいと思う。

 

ミエナイ世界と「異言」。

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※船に乗ろうと歩いていて見かけた無料ライブ。

彼らは台湾独自の文化を発信しているバンドだそうで、

歌は全て台湾語でやっていると聞いた。

 

邸さんの口から出ているそれの響きは、

台湾の言葉がわからない私なりに、

台湾語に似ているように思えた。

しかし、その一方これは

人間の話す言葉ではないと思った。

そう、私は「異言」なのだと感じ取ったのだった。

 

「異言」と書いたものの、

あれを本当は何と呼ぶのかは分からない。

それは、私が大いなる存在とつながる時、

自然と口から溢れて出てくる言葉であり、

私の場合は日本語に似ているけれど日本語でなく、

そのまま日本語や韓国語の中の単語が出て来る部分もあるけれど、

かといって韓国語に似ているかというと、そうでもなく・・

総合的にみれば結局何と呼べばいいのかわからない謎の言葉だ。

何語とも言えぬので、私はこの当時それを、

「普通の言葉とは異なる言葉」の略で、

「異言」と勝手に呼んでいたのであった。

 

しかし、この時、何故邸さんの叫びを

「異言」だと思ったのかは分からない。

けれど何の疑問もなく感じたのだ。

童乩が発しているこの言葉は、いくら台湾人同士でも、

普通の台湾人には決して聞き取ることが出来ぬと。

 

 宇宙語、ライトランゲージと「異言」

2016年の今は、似たようなものを

いくつかYouTubeで見る事ができる。

例えば「宇宙語」や「ライトランゲージ」と呼ばれる物だ。

私が見た幾つかは、イタリア語に似たものや、

フランス語に似たものなど、

やはり三次元の言語に似た印象を受けるものだった。

・・・・ただ、それが私の口から出るものと同一であるかといえば、

個人的にはちょっと違うと感じている。

どこがどのように違うのか、をここで書くには、

話しが横道に行き過ぎるので、割愛し、

いづれ書いてみたいと言うに留める。

けれど、シャーマニズムやスピリチュアル系の動画を

細かくチェックし続けていくならばきっと、

いつか自分と同じだと感じるものを見つけることはできる気はしている。

本当に情報という意味では恵まれた時代になったものだ。

 

突然の空中浮遊?!

童乩は激しく体を揺らしながら、

時に甲高く叫び、時にブツブツと呟きつづける。

 

今、この地に、邸さんに、神霊が近づいていた。

 

そして次の瞬間、あっと思う間もなく邸さんの体は、

なんと胡座座をかいたまま、

まっすぐに祭壇の上へ飛び乗っていた。

そして一段と強く悶絶するかのように

背中を大きく反らしたかと思うと、

 

ぎょぇええええええ!!!

 

ひときわ大きな激しい叫び声を放った。

神、邸氏へ降りる。

私は目の前で起こっている出来事に、

思わず目をこすりそうになっていた。

何しろ今邸さんが飛び乗っている祭壇の高さは、

身長163センチである私のウエストの高さほどであり、

普通なら座ったままの状態で、助走もせず人の手助けも受けずに、

一瞬で飛び乗るなど、ありえない話しだった。

 

麻原彰晃・・・・?)

 

瞬間、あのオウム真理教の教祖麻原彰晃が、

空中浮遊をしたという例の写真が頭に蘇る。

あの写真のフェイクさについては

さんざん色んな所で語られてきたし、

なによりネタとして散々使われていた。

もちろん、邸さんがいま行ったのは空中浮遊ではない。

しかし、助走もせず一瞬で飛び乗るなど、

常人では無理な話しだろう。

しかも、裸の大将風な邸さんは、

正直いって筋肉より贅肉のほうが多そうな体型で。

筋力で飛び上がったとは到底思えなかった。

そのありえない事が目の前で起きているのである。

 

一瞬のうちにそんな事がぐるぐると頭を駆け巡ったけれど、

後から思えば、この時はまだ、それだけの余裕が私にもあったのだ。

 

しかし、今、この瞬間が、

神が童乩と合一した瞬間であった。

 

謎の黄緑ジャージペア登場す。

祭壇の上で激しく震える邸氏を見つめる私の前に

突然派手なジャージを着た眼鏡の男性がやってきた。

 

そのジャージの色はなんと黄緑。

あまり背が高くなく細身、年の頃は35〜40ほどで、

理工系の講師か何かのような固い雰囲気の男性だった。

しかし、黄緑色・・・そのセンスの無い謎ジャージ・・・。

台湾的オカルトオタなのかしら・・・・・?

なんで私の所にくるの?などと失礼な事を考えていると、

何か中国語で言いながら、

印刷された桃色の細長い紙を見せて渡そうとしてくる。

 

(え?なに?)

 

慌ててクライアントのTさんの方を見ると、

こちらは黒のジャージを着た、

小柄で茶髪のいかにも気の強そうな女性が

Tさんへ似たような紙を渡そうとしていた。

 

へどもどしている私とTさんに、

通訳の付き添いに来てくれたお土産屋の黄さんが、

「その紙に必要な事全部書いてください」と言う。

言われて紙をちゃんと見てみると、そこには中国語で、

氏名、住所、電話番号、生年月日などの文字が印刷された枠があり、

それぞれの文字の下の空欄に書き込むようになっていた。

今思えばその紙をちゃんと写真に写しておけば良かったのだが、

当時はそんな事をする余裕もなかったのが悔やまれる。

 

自分の記憶を掘り起こして見ると、

そういった個人情報を記入する欄の横には、

工作、開市、嫁娶、入宅、健康などなどの文字が並んでいて、

記入者がいったい何を神に聞きたいのか、その種類について、

丸を付けるようになっていたように思う。

しかし、丸を付けるだけで、その内容詳細については、

別に書く必要は無かった。

 

その桃色の紙に記入を済ませ、

先程のジャージペアにその紙を手渡した後、

それをどうしたのかはっきりは覚えていない。

多分ジャージ男がそれを受け取り、

童乩の座る元へ置いたのではなかったかと思う。

 

そして、ジャージ男に促され、

私とTさんは祭壇の前に並んで立った。

目の前には不思議な動きをし続ける童乩、

その向こうから巨大な天公の神像が私達を見下ろしている。

 

「二人共、住所と名前と電話番号を神様に言って、

それから聞きたい事を神様に言いなさい。」

 

黄さんがジャージ男の言葉を伝えてくれる。

 

「日本語でいいのですか?」

 

「大丈夫です。」

 

この時の記憶がはっきりしないのだけれど、

確か、自分達で名乗る前に、

童乩が桃色の紙に書いた私達の住所と名前などを

読み上げていたような気がする。

 

ただ、このあたりの頃には、

もう「神あたり」とでもいうような、

頭がぼーっとする状態に陥いっていた為、

私の記憶も曖昧なので、

自分達だけで名乗ったのか、童乩が最初に伝えたのか、

どうもはっきり思い出せない。

前、または後に、童乩も神に伝えていたのは確かなのだけれど・・。

 

Tさん、次に私の順番で、神様へ名乗りを行う。

「母の病についてどうしたらよいか教えてください」と訴えるTさんの

その言葉を聞きながら、ぼんやりとしそうな頭の隅で、

私は何を聞けばいいんだろう・・・と思う。

 

狭い廟の中はもうもうとお香の煙が立ち込めて、

全開になっている入り口からは十分外気が入ってきている筈なのに、

むうっとしていて、なにかやたらと暑くてたまらなかった。

その暑く蒸したような空気の中で、

非日常の世界が展開されている不思議を

理性的な自分が映画でも眺めるように見つめていた。

 

ぼんやりとしかけているとはいえ、

私はまだ「私」であった。

 

「ハヌルさん どうぞ」

 

黄さんの声に促され、理性的な私がより強くなる。

 

(どうしよう・・聞く事がない・・・)

 

私は、ただ、童乩が見られれば良いと思っていた。

そしてTさんのセカンドオピニオンとして、

童乩から答えを貰えると良いと思っていただけだった。

 

愚かな事に、自分が童乩に何か聞く羽目になるとは、

その時までまったく気づいていなかったのである。

 

自意識過剰が極まると、人はここまで過剰な考えになるもので。

「仕事について、教えてください。」

 

その自分の言葉が耳に届いた時、

後悔と、諦めと・・・・

ぽっちりの自嘲するような私がいた。

口に出した自分が恥ずかしかった。

 

結局のところ、私は、

自分がしていることを誰かに聞きたかったのだ。

誰に聞いても仕方がないと思っているのに、

それでも、あの運命の言葉を引き出すために、

誰かに聞きたかったのだ。

 

「お前のそれは霊視でも神憑りでもなんでもない」

 

実際そう言われたら、

どうしたらいいのかとまた悩むくせに、

それでも、言われたがっていた。

 

「私は、変な人間なんじゃない」

 

そう思いたかったのだ、たぶん。

 

私にとって、精神異常と言われるより、

霊視ができるということのほうが、

死ぬほど恥ずかしかった故に。

 

童乩という「本物」に、

お前は違うのだと認定されたいという欲望が、

心の奥底にいて、

それがいま私の口をついて現れてしまった。

その自意識のいやらしさに、

私はいたたまれない気持ちになっていく。

 

 

今だったら、この頃の自分について、

どんだけ自意識過剰やの!と笑い飛ばすこともできる。

しかしあの頃の私にはまだそれは笑えない問題だったし、

とにかく真剣にこのことに向かい合っていたのは確かで。

これを書きながら思い返すにつけ、

我ながら、痛い、痛すぎる・・・と、顔が真っ赤になっている。

(本当に、痛い・・・)

 

 

いづれにせよ、今と違って、

表情が現れにくかった私の顔からは、

きっとこの葛藤はばれてはいなかったと思われる。

 

私自身も、そんな感情の渦は体の中に押さえ込んで、

なんでもない素知らぬ顔をして、後ろへと下がった。

 

そして。

あっけないことに、その日の儀式はこれだけだった。

 

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※まもなく朝を迎える高雄の町並み。

左手の高いビルは漢神。

 

「明日、22時にまた駅へ来てください。

答えは明日の夜きますから」

 

ここまで来たのなら、

もう一晩待つ程度の事はなんてことはない。

私とTさんは黄さんが捕まえてくれたタクシーに押し込まれながら、

明日!また明日ね!と叫ぶ。

 

やがて、タクシーは暗い通りを抜けて、

窓にはネオンの輝く台北の町並みが映り始めた。

 

深夜1時過ぎの台北。

そのまばゆい極彩色の光を眺めながら、

先程までの出来事がなんだか嘘のように思えて仕方がなかった。

 

けれど、この長い髪から香る、

煙臭いお香の香りが、夢まぼろしではないのだと、

教えてくれているのだった。

 

 《第七章へ続く》

 

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