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霊能者 火水ハヌルの全方向スピリチュアル

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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第12章

シャーマニズム スピリチュアル 台湾 台湾でタンキーに出会った話 火水ハヌル 霊視

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台南市の安平劍獅埕の門にいる剣獅・鎮守。

古くからある剣獅とは違いユーモラスな姿で

ちょっとゆるキャラと間違えられそうな気も。

この広場では町おこし的に剣獅のグッズが多く売られている。

すぐ近くに有名な周氏蝦捲の支店もある。

 

周氏蝦捲は台湾では有名なエビ巻のお店。

台南小吃の代表格とも言える一品。

たたいたエビと豚肉に葱等を混ぜてから

豚の腹膜でくるんと巻いて揚げたもので、

外はカリカリ、中はアツアツ!

一口食べればふわんとエビが香ります。

 

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http://66.hk/www/play/display_fold.php?ilang=zh_tw&city_id=659&menu_id=22

台南グルメでは外せないこの周さんのお店は、

高雄ではMRT紅線の三多商圏駅直結デパート

大遠百11F美食街に支店があります。

三多商圏は高雄国際空港まで近くわかりやすいので、

台南は遠いという方はそちらでどうぞ。

セットメニューでも150元程度なので、

誠品帰りにちょっと楽しむのにおすすめです。

(美食街では鯛焼きも売ってますよ 笑)

 

・・と、珍しく台湾食について語ってみました。

私は食いしん坊なのですが、

ブログではあんまり書いた事ないのですよね。

私の行きつけの屋台や食レポ記事も書いてみようかしら?

(・・・皆さん興味無いか! 笑)

 

さて。

ではタンキーシリーズです。

 

■台湾シャーマンシリーズ:目次■

 

シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第12章

 

ここで話は第八章へと戻る。

 

台北の片隅の小さな廟である正義宮。

童乩にご神託を伺っていた私は、

その祭壇の前に置かれた小さな座布団へ座らされ、

目を閉じろと言われていた。

そうすれば私と縁のある神様が現れるというのである。

 

hanuru.hatenablog.com

 

小さな正義宮の中は音と匂いで溢れかえっていた。

 

私の前には金、赤、青、緑と極彩色に彩られた

巨大な天公の像がそびえ立っており、

その前に私はひとり座らされていて、

私の両側にはそれぞれ小さな椅子に座ったお婆さん達が

あれやこれやと大きな声でおしゃべりをしている。

その様子はまるで幼いころに見た、

大仏とそれを囲む五百羅漢の俗世版のようだった。

勿論、彼らは聖者ではないし、

五百羅漢というには余りにかますびしかったのだけれど。

 

更にお婆さん達の後ろからは、

誰も見ていないのに点けられているTVから

のど自慢のような番組が流れっぱなしになっていて、

時折出演者の歌を終了させるための「カーン!」という

鐘を叩く音をさせては、何とも言えない日常感を醸していた。

そして何よりもうもうと立ち上る線香の煙。

その煙に混じって、お婆さんたちの食べている何かの匂い。

ところどころ聞こえてくるTさんの声。

 

日本のお寺や神社の静謐なイメージとはまるで違う、

人間と神様がまさに同居・・いや雑居しているかのような。

 

そんな状態の所で、私は、ひとり

座布団に座っていたのだった。

 

あふれかえる雑音の中で冴えていく意識と消えていく何か。

 

当然の如く、私は激しく雑念だらけだった。

そして何よりも酷く疲労していた。

集中だの無心だのとはあまりにも程遠く、

それよりも帰って眠りたい気持ちのほうが

ずっとずっと勝っていた。

 

童乩に座れと言われたけれど、

タイマーを合わせてる風でもないし、

いったいいつまで座っていたら終わりになるのかもわからない。

幾ら滅多にない機会だとはいえ、

いつになったら終わっていいの・・と思うほどに

私は疲れていたのだ。

 

案の定気が付くと瞬間的に寝ていて、

ふっと意識がなくなる。

ガクンと垂れた頭の重みではっと目が覚める。

頭の揺れで寝ていることがばれてやしないかとおもうと

さすがに恥ずかしくて堪らなかった。

 

そして、意識を失う、居住まいを正すの繰り返しの感覚が

だんだんと短くなっていく。


やがて「起きている」ということだけが目的になってきて、

あれだけあったはずの雑念すら浮かばなくなる。

鮮明な頭のままいつの間にか私は

静かでぼんやりと白い世界に立っていた。

しかし突然ガクンとなって人々の声や音が聞こえると

あれ?今のは?・・夢だったのか?と座り直す。

それを繰り返しているうちに、

ガヤガヤとあんなにも煩かった周囲の音も、

知らぬうちに何一つ聞こえなくなっていった。

 

ここの部分は2017年の今でもうまく説明しづらい。

正しくいうなら、聞こえなくなったというより、

聞こえている時間(覚醒)と聞こえていない時間(非覚醒)が

完全に逆転しはじめ、それにつれていつの間にか、

音が聞こえない白い世界が実態のあるリアルな世界で、

雑多な音溢れる現実がまるで触ったら歪んで消えていく

あまりにも儚いマボロシの世界に感じるようになっていた。

ふたつの世界は、何かで分け隔てられているのではなく、

ただ私の頭が垂れる衝撃で世界を移行している事に気づくだけで、

あまりにも滑らかに2つの世界をスライドして動いていて、

この時の私は意識に途切れも切れ目もありはしないのだった。

だからこそ、 ここからが夢というはっきりとしたものも無く、

まして「現実であるはず」の世界が幻影と化してしまった今では、

その瞬間自分がいったい起きているのか、

それとも瞬間的に寝ているのか、

・・・・つまり、そう、果たしてどちらが現実なのか、

判別ができなくなってしまっていった。

 

 

 

やがて、私の意識は完全に

白い世界へスライドしたまま戻らなくなった。

 

真っ白い世界の中で私が見たもの。

 

 

私の目の前は真っ白だった。

上も下も何もない。

どこが天でどこが地なのか、その境目もわからなかった。

目に映る全てが白で、誰もいない。

そこに自分がどれくらい立っているのかわからなかった。

いや、立っていると思っているだけで、

実際はどうなのかはわからない。

ただ自分の視点の上方が上で、下方が下なんだろうと、

習慣的に思っていた。

そこに立っている自分に違和感はなく、謎も無かった。

一瞬のようで、既に何時間もいるような気もする、

不思議なのに不思議だと感じない場所。

ただただ、私はそこから世界を見つめていた。

すると。

 

「・・あ」

 

真っ白の「何もない」のその向こうから、

 

一瞬で金色の光が私に向かって投げかけられた。


瞬きひとつ前は真っ白だった世界が、

今度は金色の光に満ち溢れていた。

 

その黄金の光の中遥か遠く、何かが点のように見える。

と思う間もなく、これまたとてつもないスピードで

真っ白な巨大な龍が私に向かって飛んで来た。

飛びながらくねらせているその体は、

あまりにも太く大きく、大人が何十人手を繋げば

その胴回りに手が届くだろうか。

正面に相対するその頭には、ぼうぼうと白い毛が生えており、

ふくふくとしたまるで猫の口元を思わせるような

分厚い鼻をしていて、その眼は大きく輝いていた。

そうして世界の果てまで続くようなその巨体のうねりの先に目をやると。

 

白い鱗が真珠色の輝く波のように続く遥か向こう。

その光の波の中に足元を浸すようにして誰かがいた。

その人は白い布を頭から被っていたけれど、

あげた前髪が少し布からこぼれて見えていた。

まとった服も同じように白く、

その色に同化するほど肌の色も白いように見えた。

 

金色に輝く世界の中で、

白く輝く龍の胴体の中から立ち現れたその方は、

いかにもたおやかで、龍が少し体をずらしたなら、

潰れてしまわないかと思うほどだった。

そしてそのお顔は・・・。

 


「あ」

 

 

誰だかわかった瞬間、

私は現実の世界へ戻されていた。

 

現実への帰還。

 

肌に感じる湿った空気、

飛び交う中国語、

もうもうと立つお香の煙、

同じ姿勢をし続けたせいで、軽く痛む足。

私の五感が、ここが現実なのだと教えていた。



私は一体どれくらいそうして座っていたのか。

まったくわからなかった。

しかし座らされる前に感じていた、

あの強い疲労感が何処かへ消えたかのように、

妙に体がすっきりとしていた。

 

これはやはり・・・・

結構寝ていたのかもしれないと思うと、

ばつの悪い思いがした。


自分では寝ていたつもりはなかったけれど、

こんなにも体が楽になっているということは、

回復しているということであって・・・・。

知らぬまにぐうぐうと寝ていたのだろうか。

少なくとも、うとうと寝ていたのは間違いないことだろう・・。

 

(疲れて寝ているのだから起こさないでおこうと、

気を使われたんだのかもしれない・・・)

 

もしや鼾でもかいていたのでは・・

そう思うと、どうにも恥ずかしかった。

なんにせよ、このままでは

私はずっと放置されっぱなしになりそうな気がした。

もう立ち上がってもおかしくない時間だろうし、

Tさんがどうしているのかも気になったので、

勝手に立ち上がることにした。



すると男性の桌頭

立ち上がった私に気づくと声をかけてきた。

「何か観ましたか?」

 

そう問われて。

途端にぐっと詰まる。

 

先程まで夢マボロシに感じていたこの現実が、

今では手触りのある確かな世界なのであって、

先程あれほどリアルだった白い世界は、

既に消え去りそうなふわふわと不定形なものとなっていた。

 

完全に逆転してしまった2つの世界。

そうなれば、当然、あの白い世界は、

うたた寝の合間に見た単なる夢・・・と思うのが、

まともな人間の思考だろう。

 

既に通常の自身を取り戻していた私は、

桌頭に何か見たかと尋ねられ、

思わず反射的に、

なんにも見なかったと答えそうになった。

 

けれど。

 

ここは台湾で。

童乩も、桌頭も、

誰ももう二度と会わないだろう人達で。

 

(恥を掻いても、いいのかもしれない)

 

さっき見た「あれ」は、

単なる夢・・かもしれない。

いや、きっとあまりにも普段とはかけ離れた、

初めての体験が生み出した単なる夢なんだろう。

見たものを口に出して、

残念な顔をされるのかもしれないけれど、

それも旅の思い出にすればいい。

 

「真っ白い世界に、

白銀に輝く巨龍が飛んできて・・・

真っ白い衣を着た、観音様がいました」

 

そう。

静かにあそこに立っていた人。

 

それは私には観音様に見えたのだった。

観音様と、疑いと、私。

 

ところが。現実に帰ってみれば、

この「観音様」が見えたという事そのものが、

私には何か恥ずかしい事のような気がした。

夢であるなら、いっそマシだと思った。

 

何故なら、だんたんと、先程見たものが、それこそ、

なんでもかんでもマリアだとかアマテラスだとか、

よく知られている名前を持つ存在が

自分にアクセスしているんですとでもいうような、

いかにも陳腐な妄想のような気がしてきたからだった。

それとともに、そんな妄想をしてしまうほどに、

結局のところ、私は嫌がるフリをしているだけで、

自分自身を見えない存在とアクセスする者なのだと

そう思いたがっているのではないかと、

再び自分を恥じる気持ちが湧き上がっていた。

そう思っている上で、それを口にすることは、

自分の恥を晒す以外無い事で。

 

もし、ここが日本なら。

または相手が日本人なら。

口には出せなかっただろう。

 

ここが台湾だから。

話す相手が桌頭だから。

私は、ああそれは関係ない話しだね、と、

笑われてもいいと思ったのだ。

 

顔がそっくりって、そんなこと言われても。

 

ところが龍と観音様の話をした途端、

桌頭は非常に興奮した表情をした。

そしてうんうんと激しく頷きながら、

「やはりあなたに縁付いているのは観音様」

と、早口で話してきた。

その力のこもった言葉に、慌てて、

「いえ、夢かもしれないし」

と続けてみたものの、

桌頭は私の言葉を遮り更に言葉を続けた。


「童乩は縁のある神と童乩自身の顔が

何故かそっくりなのですよ。

ほら 見てください。」

指差されのは、先程私が座っていた祭壇だった。

この廟で一番大きなその神像は
おそらくここのご本尊、「天公」で、
確かに童乩である邸さんとは、

とてもよく似た顔立ちに見える。

私は童乩と神像を何度も何度も見比べてみる。

 

しかし、例えば。

それぞれの分化の持つ特徴や癖というものがあり、

神様の像というものも、

ギリシャの人が作ればギリシャ的に

日本人が作れば和的になるのだ。

同じ仏を作りながら、

ガンダーラ仏と日本の仏の顔が

あれだけ違うのが良い証拠であろう。


ということは、台湾人が作った神像が

台湾人独特の顔に出来ているのは

私には当たり前のことに思われた。

更にそれが童乩である邸さんにそっくりであったとしても

「そういうこともある」という程度の話ではないか。

第一、それが私と何の関係があるのか。

 

 

桌頭は、ほらほら!と熱がこもった様子で

私を見つめてくるけれど、

すっかりいつもの調子を取り戻してしまった私は、

通常する時と同じように特に反論もせず、

曖昧な笑顔で聞き流してしまおうとした。

 

すると、私のその様子に気が付いたのか、

今まで入り口付近にいた童乩が煙草を片手に、

私のほうに近づいてきた。

どうやら、私が座っている間に、

彼の神憑りは終わっていたようだった。

 

そして桌頭の言葉を聞くやいなや、

童乩もまた興奮した顔を見せ、

つばを飛ばさんという勢いで、

大声で話し始めた。

 

「やはりあなたは観音なんだね。

顔を見たときに 、おやっと思っていたんだよ。」

 

「例えば誰かが 観音像を作ってくれと頼んだなら、

それは必ずあなたと同じ顔に出来上がる。

それは偶然ではない。

あなたが観音である証拠なのだよ。」


「私とこの天公が同じ顔になっているのも偶然ではない。

像を作る人があなたのことを知らずともそんな事は関係無い。

あなたの写真をモデルにするとかしないという事ではないのだ。

作られる観音像の顔には、必ずあなたの顔が「ある」のだよ。」

 

童乩と桌頭は、

まじまじと私の顔を見つめている。


(冗談?お世辞?そんなこと、あるのだろうか?)


私は頭の中に様々な観音像を思い浮かべてみた。


確かに昔から自分の顔の系統は

どうみても和顔で、それも、

系統でいえば仏像顔だとは思っていた。

自分で思うだけでなく、

人に会えば、仏像に似てますねと

そう言われることもしばしばだ。

 

けれどそれは、あくまで顔の作りが、

「・・っぽい」というだけの話しであって、
明らかに観音様の方が美しい。

私は単に鼻が長く、頬が丸く、

目が細くてあれでそれでなだけなのだ。

 

なにより、こんな小さな廟に

わざわざ外国人が来たのだから、

そういう感じの事を言って喜ばせて帰そうという

そういうお世辞的な何かなのでは・・。

 

疑う事にかけては自信のある私にすれば、

どうしてもそういう思いが湧いてくる。

でも こんなにはっきりと自信を持って言い切られて、

何がなんだか分からなくなってくる。

分からなくなった私は、

曖昧に微笑みを返してただ誤魔化すしかできなかった。

 

100体以上の神像の中にいた「私」。

 

その曖昧な笑顔でも、

私の内心を隠しきれなかったのだろう。

桌頭がじれったそうに「こっちへ来い」と手で私を招き、

祭壇の裏側に立ち並ぶ大量の神像の所へと連れて行く。

そしてちょっと待て、と態度で示すと、

今度は廟へ拝拝に来ていた信者であろう、

お爺さん、お婆さんを数人連れて戻ってきた。

 

「この中に、この日本人と同じ顔の像があるかね?」


するとどうだろう。
その言葉に人々はみなぎょっとした顔をするや、
そこに立ち並ぶ神像の中の一箇所を一斉に指を差した。


桌頭はさらにひとりづつに問いかける。

「あなたが指差した方向には、

二つ似たのが並んでいるが、

この日本人と同じ顔はどの像のことだね?」

そう問われた老女も老人も顔を見交わすこともなく、

全ての人がみな迷いなく、

ぴたっと同じ方向にある像を指し示す。

そして指を指し終わった人達は、

私の顔を見ては何かを話し合っているようだった。

「あの・・・・ どれを選んでいるのでしょう?」

長年の線香の煙によって燻されたのだろう、

正面だけすっかり黒く煤けた大量の神像の群れ。

それは壁面の上半分を埋め尽くしていて、

おおよそ100体以上は並んでいるように思われた。

その中に他と見比べても、とても女性的な風体の二体がいる。

彼らが指差しているのは、どうやらその二体のうちの、

どちらかのことを言っているようだとは見ていてわかった。

「あなたは自分に似ているのはどれだと思いますか」

返答ではなく、逆に聞き返されて、もう一度神像を眺めてみる。

やはり・・・この二体のどちらか、だろう。


左側の方の像は、どちらかといえば、 

体格もどっしりと太りじしで、顔の輪郭もぽっちゃりしている。

その雰囲気は、いかにもなんだか「おばさん風」。

高く頭を髷に結ってはいるものの、

抜け目無さそうな厳しい目つきといい、

大阪のおばちゃんに居そうな、しっかり者そうな雰囲気だ。

いかにも「関西系おっかさん」なイメージといい、

全体をみれば私に似ているのはこっちだろう。
しかし・・・。
肝心のその顔立ちが、どこか私には似ていない気がした。

一方、右側の像はすっと背が高く柳腰の、

年齢不詳の娘風だ。

けれど、決して若いという感じでもなく・・・

トウが立った行かず後家なのか?とでも邪推しそうな

独身者の雰囲気を持っている(失礼極まりない)。


輪郭も細面で おそらく大陸美人なのだろう。

左側の像の台湾的な顔立ちとは違っている。

美醜には好みの差があるけれど、

先程のオカン風像とこちらを比較すれば、

こちらの方が美しい気がする。


 私自身は残念なことに美人には生まれなかった。
キレイだったら人生もっと成功していたのにと、
どれだけ悩んだかしれない。

美しいという言葉は私には縁遠いものだ。


それでも・・・。

私の顔のような、まん丸の輪郭の中に、

この像の顔立ちを描いたなら・・・。


この左の像の輪郭の中にある顔は、「私の顔」だった。


長い鼻すじ。

そこからつながる眉骨の描くカーブ 。

目の下から顎までの距離が長い頬。

薄い上唇に分厚い下唇。

分厚い瞼と、細くて長い切れ長の目、

そしてその目がしているその目つき。

 

それは、自分ですら、私の顔だと思わざるを得なかった。


「それは千の手を持ち、

千の眼を持つという観音です」

千の手、 千の眼、 観音。
それは千手観音のことなのだろうか?

「いえ 千手観音という名前は知りません。 
これは千の眼と手がある観音だと言われています。」

 

どうして、私は童乩に会いたかったのだろう。

 


台湾に来て私はいろいろなことを言われた。

 

夜市でご飯を食べていれば、

通りすがりの老人に突然頭を指さされ、

お前はここに神様を連れてきたねと告げられた。

占いの老師には素敵な彼氏ができるかと聞いたのに、

私の前世は神仏で、

人を救うために人の体で生まれてきただの

問とは関係ない答えを告げられた。

そしてここ正義宮では、

童乩によるご神託によって、

私の頭には神が宿っていて、

さらには私自身が廟なのだから

お金を貰って仕事をしなさいと告げられた。

 

その上縁を結んでいるのは

千眼千手観音だとまで言われてしまった。

 

私は何故、童乩に会ってみたかったんだろう。


これが私が欲しかった「答え」だったんだろうか。


いや答えなんかを探し求めてはいなかった。

ただ、お前は狂っていて治療が必要なのだと、

いや、狂ってすらおらず、

ただの行き過ぎた空想癖なのだと、

そう言われたかったのではなかったか。

 

ああ、ああ。

真に、私が望んでいたのは

一体何だったんだろう。

今、この心にのしかかる重みは何なんだろう。

私は何故、童乩に会ってみたかったんだろう。

興奮する桌頭達とはうらはらに、

私の心の中には、

冷たく冷えた何かが広がっていった。

 

 

 

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