【徳島】四国八十八ヶ所霊場六番札所「 温泉山 瑠璃光院 安楽寺」にて結縁灌頂。
四国に行ってきました!
お久しぶりです、ハヌルです。1月に徳島県の温泉山 瑠璃光院安楽寺の新春結縁灌頂会へ、クローズドツアーで行ってまいりました。
安楽寺さんは、四国八十八ヶ所霊場の第六番目の札所。そして「温泉山」とある通り、宿坊に温泉があるというお話。結縁灌頂に参加して、さらに温泉に浸かって開運というパンチ企画です。 (私、温泉大好きおばちゃまです!)
ということで、今回の旅レポスタートです。
※帰りに一人神戸で春節を迎え關帝さまをお参りしたくだりは、こちらの記事の下にまとめました。
福岡→徳島は何で行く?
・・が。
帰りの便がイマイチ私の都合によろしく無く。
ということで、今回は新神戸駅でお待ち合わせにさせていただき、
・博多→新神戸(新幹線)
というルートで行くことに。
新幹線はJR九州と西日本を走る「みずほ」です。座席が2列3列の「のぞみ」とは違い、通路を挟んだ左右2列2列のシートはゆったり、車両内の色合いも気分が落ち着きます。
そして、行きも帰りもこの通り乗客はほぼゼロ状態。個人的には有り難く・・。(この時徳島は蔓延防止は出ておりませんでした)
博多駅の駅弁はクオリティが高い!
誰もいないので安心し、博多駅で購入した限定駅弁「HANAかしわ飯 550円」を取り出します。
これがまた、めちゃめちゃ美味しい!上に乗っている生姜風味の甘めの鶏そぼろの下に、かしわ飯が詰まってるんです。香ばしさ×甘じょっぱいの掛け算に間違い無し!
ちなみに、このかしわ飯の通常バージョンは、ほうれん草のおひたし→お漬物になっているだけでたしか490円でした(480円だったかもしれない)。
博多駅付近のホテルの部屋で一人飯ならぜひ。超おすすめです。
私もお家ごはん用に今度買ってこよう・・・。
そうこうしている間に、2時間半弱であっという間に待ち合わせの新神戸へ。新幹線、予想以上に早いです。(例えば博多からなら大阪も関空へいく時間を思うと、新幹線でいいかも・・?)
そして車に乗せていただき、海を渡って、さくっと四国は安楽寺さんへ到着しました。(帰りに鳴門の渦も見ました!)
温泉山安楽寺
https://88shikokuhenro.jp/06anrakuji/
平安の時代、四国を巡錫中の弘法大師様が、この地に温泉が湧き出ていることを発見されました。 その温泉は万病を治癒する効果があるとされ、弘法大師様は病魔から人々を救う「薬師如来様」と縁深い土地であるとおっしゃられ、お堂を築き薬師如来様を刻んで安置されました。 弘法大師様が温泉湯治のご利益を伝えた地でございます。
今回はコロナ下における蔓延防止の為に、1月8日〜31日の中の一部日程で行われることになったものです。
後に副住職様から伺ったところによると、本来は1日に1000人ほどが集い行われるものだそうで、その日は全国各地より仏縁を求めて老若男女がおいでになるのだとか。特にこちらは愛知県から団体バス等でおいでになる方々が多いのだそうです。
今回は午前と午後の2部で少人数の予約制。私は翌日の朝9時からの部なので、安楽寺さんの宿坊に、その晩と翌日の2泊させていただきました。
安土桃山時代には「駅路寺」として定められました。
その当時、阿波の国には遍路や旅人のための宿泊施設がなく、駅路寺とはそういった人々に宿や食事を提供して保護するために藩が指定した寺院でした。
安楽寺は八十八ヶ所の中で唯一の「駅路寺」として今日に至ります。
400年の歴史ある宿坊(宿泊施設)には温泉山の山号の通り温泉があり、今もお遍路さんや旅人の疲れを癒しています。--公式HPより
安楽寺さんは第六番札所で、徳島を治めた蜂須賀様のお達しで定められた、歴史ある宿という歴史ももっておいでです。そう、蜂須賀といえば、もともと愛知ですから、愛知とご縁が深いところですね。
初めての宿坊は広かった!
私が宿泊したのは階段を上った先にある、こちら「大日の間」。
HPでは書院(特別室)と記載されているお部屋です。二間あるので、入り口に近い方に大きな荷物を置けるのがとっても便利。また、この宿坊は、このお部屋のみ浴室・トイレ・洗面所がついています。
私は温泉浴場へ入ったので部屋のお風呂は使いませんでしたが、ユニットバスではなく、こちらはこちらでのんびり入れそうでした。
室内にはこんなコーナーも。
窓からは素敵な眺め。秋でしたら美しい紅葉が眺められそうです。
日替わりのお茶請けに「ういろう」。ここでもまた愛知感(笑
あ、あと、コンセントがいっぱいありました!もしノマドで滞在したい場合でも、充電管理は安心です。
さて、宿坊は初体験の私、どんなご飯が出てくるんだろう?どこで食べるんだろう?とドキドキです。
宿坊のご飯も個室でした
時間になるとお寺の方が食事へと案内に来てくださいました、
受付を背中にして左側のガラス戸を開かれると、中には通常は茶話室として使われていそうな部屋があり、そのさらに奥の引き戸に大きく「○○様」と名前が貼られていました。
その中は私達だけ専用の食事室で、滞在中の食事はすべてこちらでいただくことに。
奥の絵はLEDで照らされるようになっていて。
これも愛知の方のご寄進だそうですよ。
上で愛知に縁が深いと書きましたが、こちらにはこんなお話もあるのです。
愛知県尾西市の水谷しづさん(当時49歳)は、脊髄カリエスの難病にかかり床についていた。当寺の住職は、夫の繁治氏に病床で苦しむしづさんを伴い、四国遍路をすすめた。二人は遍路の旅を決行した。ところが不思議にも巡礼の途中に、しづさんの難病が快癒した。現在の本尊・薬師如来像は、その報恩のために奉納されたもので、43センチほどの古来の本尊は胎内仏として納められている。
ご飯がとにかくボリューミー!
1日目の晩ごはんの前にお坊様がおいでくださり、食前に「五観の偈」を一緒に唱えさせていただきました。
【1日目晩ごはん】
【二日目朝ごはん】
【二日目晩ごはん】
【三日目朝ごはん】
この写真のすべてに汁物と白飯(おかわり仕放題)がついてます。すべての食事の後に珈琲を運んできてくださいました。(飲み物はこの他にビールもありました※飲まず)
温泉は天然だった!
ここ引野村には古くから温泉があり、安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。(現在も大師堂前から温泉が湧き出ている。)
台湾から帰国してより、初めての温泉!!ワックワクです。
が。
宿坊1Fの温泉浴場は、2つの浴槽があり、宿泊者が少ないためか大きい方は湯がありませんでした。残念。
とはいえ、小さい方も勿論十分に手足が伸ばし長くなれる広さです。二日目などは、完全貸切でしたから、存分に伸びて入りました(笑)
お湯は加温式でしたが、薄く赤錆色で鉄の香りがします。入浴しながらお大師様と薬師如来さまに、ありがとうございますと祈っていますと、そんなに熱い湯でもないのに、あっという間にゆでダコになってしまいました。
部屋で説明を読むとラドン泉とあり、岐阜でラドン温泉に入ってすぐ茹で茹でになったことを思い出し、なるほどと思いました。
安楽寺の「くす供養」
朝9時、受付前に集合したのは私を含め7人という少人数。全員きちんとマスクをつけています。初めに本堂奥の灌頂窟にて「くす供養」を行い、その次に結縁灌頂という流れでした。
※お写真はご一緒した方からいただきました。
「くす供養」は安楽寺に参籠した者のみが行うことができる先祖供養です。ただし「現在はコロナのため中止している」とお部屋で説明を受けていました。
まさか行えるとは思いもよらず。
宿泊だけでなく結縁灌頂を受けるので行わせていただけたようです。
前日に回向の申し込みもさせていただきましたが、その上で「くす供養」という供養のチャンスをいただけたこと、大変にありがたく感じました。胸に染み入りました。
さて、結縁灌頂は。
今回の結縁灌頂の次第は、副住職様いわく、まったく初めての形式とのことでした。ご一緒した方は、これまでにあちこちで受けられたご経験がおありでしたが、やはり「この形式は経験したことがありませんでした」とおっしゃっていました。
とはいえ。
これまでの1000人規模での開催と、今回の新式の開催、その次第は変わっても、仏さまとご縁を結ぶということは変わり有りません。
ご住職は過去の開催では、あまりにも人数が多くて参加者と会話をすることも難しかったそうで、一人ひとりにゆっくりお声がけくださる時間のある、今の形式を良しとお考えだそうです。結縁灌頂が終わったあと、私にもお声がけしてくださいました。
確かに、佐賀での結縁灌頂を思い出して、あれが1000人をとなると・・・参加する側としても大変でしょう。宿坊も雑魚寝、食事も食堂になるでしょうし、今回のような気楽さは無かったに違い有りません、
そういったことも含め、結縁灌頂そのものも、私はこれはこれで非常に良かったと思っています。
頂いたものリスト
まずは授与品から。
・御幣
ご縁をいただいた阿閦如来様のものです。その方が結んだ仏さまにより色が違います。
・御朱印(額入り)
こちらもご縁をいただいた阿閦如来様です。
・お血脈 ・大師之御手当
大師之御手当は中にミトン的なものが入っています。
裏側はお大師様の右手が印刷されています。
お大師様のお身拭いをさせていただいた後に、中に手を入れ体の痛いところを撫ぜたり、不眠の際は枕下に入れ就寝すると良いとご説明がありました。
ここからは「恐らく結縁灌頂授与品とは別にいただけたもの」です。
・さかまつせんべい他お菓子
・温泉オリジナル入浴剤
この他に、回向の掛け軸、お薬師様の御守等。
一生モノの御守
そうそう、こちらのお寺には「一生モノの御守」がありました。
日本の御守は1年で終わりというところが多いですよね。
私がご縁をいただいた阿閦如来さまは、薬師如来さまと同一視されることもあるそうなので、これもまたご縁と思いいただいてまいりました。
そういえば!もしやもしや先日の運転免許更新が眼鏡等無しで通ったのは・・?
(なんて自分都合で感謝をするのも楽しいのです。有り難し。)
ついでに徳島で食べたおうどんも!
太い細い交じる麺は手打ち、福岡の肉うどんよりもおつゆの甘みは少なく、かといって、東海地区よりは甘い感じ。お肉も少し厚めなのは、夜は鉄板焼もやっているからなのかな?
検索したところ、お値打ちにさぬきうどんが食べられる刻み揚げうどんが一押しのローカル店だそうです。すぐ側の、「なるほど」というお店はこちらとはご兄弟だそうで、味も似ているんですって(なるほどはまた次回に行けたらな〜)
手打ちうどん どんどん
電話: 088-696-2577
営業時間:10:00〜
今週も遠方出張です。開運日情報はツイッターで流す余裕がないかもしれません。アメブロの方でチェックしていただけると有り難いです。
次回は12年後!な「寅寅寅」の日は、もうまもなくです。
それではまた次回!
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臘月なので臘祭と臘八節について語ってみる。
2022年始まりました!
旧年中は当ブログをお読みくださり、誠にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
喪中につきまして新年のご挨拶は ご無礼ご容赦くださいませ。
御縁をいただかせていただいた皆々様、 幸多き良き年となられますようお祈り申し上げます。
そして 農暦(旧暦)暮らしの皆様は、 いよいよ残り一ヶ月の丑年を楽しんで参りましょうね。
え? 丑年?? もう寅年でしょ???
いえいえ、東洋占をやっておいでならご存知だと思われますが、干支が切り替わるのは立春です。今年の立春は2月4日ですので、これからまだ一ヶ月辛丑年があるのです。
西暦では年が変わっても、農暦・旧暦ではやっと12月に入ったばかり。最後の1ヶ月の開運日と行事についてアメブロに書きましたので、よかったらお読みください。
ということで、話は戻りまして、農暦・旧暦の12月の話をば。
12月の別名は臘月
12月のことを師走とよく言いますが、別名を臘月とも言います。禅や茶道をなさっておいでの方であれば、「看看臘月尽」という言葉でご存知かもしれませんね。
陰暦12月は臘祭を行う月なので臘月と呼ばれたと言われています。臘は冬至から数えて3回目の戌の日に神々や祖霊へ捧げものを行う祭祀の日でした。
臘日は年に五日ある
道教では臘日は年に五回あります。
正月一日名天臘,五月五日名地臘,七月七日名道德臘,十月一日名民歲臘,十二月節日名侯王臘。此五臘日並宜修齋並祭祀先祖。
--雲笈七籤卷三七
各日すべて臘の文字がついていますが、このうちの12月に行われる侯王臘が、日本で一般的に知られている臘日ですね。
とはいえ、日本の場合、暦注の中に臘日の文字が残るだけで、どのような謂れがある日であるのかはあまり伝わっていないようです。
臘とはなにか?
陰暦12月の頃は空気がとても乾燥する時節です。臘とは「干肉」を表す言葉で、古代においてこの時期に様々な動物や魚などを干して乾物にし保存食を作り、秋の収穫とそれらを神に捧げ感謝を示したことが臘月という言葉につながっています。
ところで、漢應劭の風俗通義に、
夏曰嘉平,殷曰清祀,周曰大蜡,漢改為臘。臘者,獵也,言田獵取禽獸,以祭祀其先祖也。
とあり、臘月の臘は獵のことであると書かれています。ネットで日本語で書かれたものを見ると、こちらの説に準拠したものが多いようですが、個人的には上に書いた干し肉説のほうがなんとなくしっくり来る気もします。また臘は接着するから年をつなぐという話もみました。
この祭祀は臘祭といい、冬至が年の始まりであった頃には、こちらが正月の行事であったのではないかという話もあります。冬至からだんだんに日が長くなっていくことと、再び豊かさをいただけるようにと願うことが関連していた可能性はあるかもしれませんね。(ちなみにそもそも古代の正月は必ず1月とは決まっておらず、12月だった時もあり、10月だったこともありました)
臘祭と臘八節の関わり
臘祭はかなり古い時代から行われていたようで、野山で獣を捕まえ、ご先祖さまと五位の家神(鬥神、戶神、宅神、灶神、井神)に供えお祭りをし、翌年の五穀豊穣、家内安全等を願うものでした。必ず一年の終わりの月に行っていたので、その月を秦漢以降は臘月と呼び習わすようになりました。しかし、この頃はまだ決まった固定の日付ではなく、擇日により祭る日を決定していました。
漢代になると、臘祭の中に邪気祓いや難を避ける意味合いが強くなっていくとともに、やがて冬至後の三回目の戌の日に臘祭を行うことが決められます。これは、冬至の日付そのものが陰暦の中では固定されていなかった為です。例えば冬至が11月の初旬であっても、最初の戌から3回目の戌までの24日間を冬至から数えることで、12月開催にできるというものだったようです。(なぜ戌だったのかは、また次回にでも)
十二月日,薦稻雁。期前五日殺豬,三日殺羊,前兩日齋饌掃滌,遂臘先祖五祀,臘明日,謂之小新歲。進酒降神,進酒尊長及修刺賀君師耆老,如正日,明日復祀。謂之蒸祭。後三日,家祭事華畢乃召請宗親姻賓旅,講好和禮,以篤恩記。休農息役,惠及下洽。是月也,群神頻行, 大蜡禮興。乃祠君師九族友朋,以崇慎終不背之義。
--四民月令校注
東漢時代の洛陽に住んだ崔寔の「四民月令」によれば、その頃の臘祭は、翌日を小新年としています。そして元日が明けると再び祭祀を行う(蒸祭)とあります。この流れを見ても、古代から行われてきた、その年得られた豊かさへの感謝と翌年への望みという流れの中にある非常に大きな意味合いがある祭りであったことが想像されます。
南朝時代の頃、仏教の臘八節と臘祭の名前が似ていたことと、時期が同じころだったこと、また、祖先霊への祭祀の側面が強くなったことなどから混同されるようになっていきます。
臘八節と日本
臘八節の方は日本にも伝わっていて、現代でも行われている所もあります。
毎年12月8日に行われ,灌仏会,涅槃会とともに〈三仏会〉と称し,釈迦の三大法会として重んじられる。禅宗の大寺では12月1日から8日の朝まで7日間不眠不休の座禅が行われるが,これを臘八会(ろうはちえ∥ろうはつえ)または成道会と称し,臘八接心(せつしん)ともいう。臘八とは臘月(12月)8日の意。
世界大百科事典 第2版
こちらは京都のお寺で昨年行われた記事です。
臨済宗最大の行事で、一年間の修行を集大成する。12月1日から8日の早朝まで、雲水(禅宗の修行僧)がほとんど不眠不休でひたすら坐禅を組む荒行。釈尊が12月8日に悟りを開いたことにちなむ。(写真は万福寺外観。同寺提供)
もともと中国古来の伝承で、12月に「臘祭」を祝い、その年の豊作を感謝した。紀元5世紀ごろから、12月8日に祝われることになった[1]。
また、中国仏教の伝承では、釈迦牟尼が苦しい断食の修業中にスジャータという女性が食べさせてくれた粥で元気が出て、悟りに至ったのがこの日だという。他の伝承では、6年の歳月を毎日1食の断食修業の後にこの日の暁の明星を見て菩提樹のもとで悟りを開き、五穀の入った粥を食べたという伝承に基づいている。
「成道会」の名前のほうが親しみある方もいらっしゃるかもしれませんね。
元々の中国でも盛大に行われています。
「臘八節」は仏教と儒教のお祝いの日でもありますから、毎年この日になると、さまざまな食文化を持つ中国人もみんな臘八節を代表する「臘八粥」を食べます。多くのお寺もお粥の無料配布イベントを行い、境内で参拝者の幸福を祈ったり、僧が誦経したり、仏を供養したりして、このような伝統行事を行うことで「臘八」という文化を若い世代に伝わります。
上の記事にもあるとおり、現代の臘八節には小豆などの入ったお粥「臘八粥」を食べることが盛んに行われていますが、一方沖縄では、臘八節と同じ陰暦12月8日にムーチーを食べる風習があるそうです。
ムーチー(餅、鬼餅)は、沖縄県の行事、およびそこで食される菓子の一種。「餅」の一種を意味する沖縄方言であり、カーサ(食物を包む葉、この場合は月桃(サンニン)の葉)で巻くことから「カーサムーチー」と呼ばれることもある。餅粉をこね、白糖や黒糖、紅芋などで味付けを行い、月桃の葉で巻き、蒸して作る。旧暦の12月8日(グレゴリオ暦では概ね1月)に、健康・長寿の祈願のため縁起物として食される。ムーチーを食べる旧暦の12月8日(新暦の1月下旬から2月上旬)は沖縄では最も寒い時期であり、この時期の寒さを沖縄方言でムーチービーサ(鬼餅寒)と呼んでいる。
沖縄ファリーマートさんがこんな記事を作ってくださってました。
日本では12月8日は「事八日」
この事八日は日本の各地では「不思議なものがやってくる」日なのです。
妖怪や悪神(地域によって異なり、一つ目小僧・箕借り婆・疫病神・ダイマナコ など)が家を訪れ、害をなすという。それを防ぐため、目籠・ハリセンボン・蜂の巣・ヨモギ・山椒・唐辛子・ニンニク・柊に刺した鰯の頭などを、戸口や軒下に掲げ魔除けとする。
ところで、ここまであれやこれや書いたところで、・・・・・臘祭と事八日へのつながり等までこまかく書かれている記事を見つけました!
もっと早く見つけていたらこんな長々書かずとも・・・・わかりにくい私の文章ではなく、最初からこれを紹介するだけで良かったのでは?!という・・(遠い目
臘八粥の作り方
2022年の臘八節は1月10日です。ですから、事八日も1月10日ですね。このような新旧入れ替わりの節目に、魔除けとして赤いものを食すのは良いことだと思います。
せっかくなので、臘八粥の作り方動画を2つご紹介しておきます。どちらも中国語がわからない方でも、見れば簡単にわかる動画です。
まずは鍋で煮て作る方法。
次に炊飯器で作る方法。
どちらも素材の味を楽しむ感じですが、もし食べる時に味が足りなければ調味料で味付けを足してもgoodだと思います。
七草粥はこちらでどうぞ〜。
それではまた次回!
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インタビュー掲載 「真夜中の占いの館・番外編」前後編
「夏至の開運記事」執筆掲載
辛酸なめ子著「魂活道場」記事収録
月刊ムー 総力特集「中間生の秘密」取材掲載
透視能力開発講座 取材掲載
Trinity 春夏秋冬福アクション特集記事 監修
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