霊能者 火水ハヌルの全方向スピリチュアル

台湾高雄市/岐阜県/福岡県から海外と日本の皆様を遠隔&対面でスピリチュアルナビゲート。 何かに偏る事なく現実と向き合う全脳スピリチュアル派。廟に通う道教系。音声番組好評配信中! HPはこちら→ http://hanuru.jimdo.com/

【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第十章

f:id:hanuru-hanuru:20170108170213j:plain

※左營慈済宮。主祭神は保生大帝。

保生大帝は581年(随)頃に生まれた

孫思襞という人物で医学の偉人の1人。

その著作「千金翼方」は遣唐使によって

我が国へもたらされている。

 

お正月に飲む、お屠蘇はこの孫思襞に由来します。

中華文化圏では保生大帝と呼び医神として祀っているのです。

実在の人物が後世神として祀られている例としては、

他に関公(関羽)や媽祖(林默娘)などがあります。

 

保生大帝と東醫寶鑑について以前書いた記事はこちら。

ameblo.jp

 

高雄を訪れる日本人が増えた事は嬉しいのですが、

蓮池潭や左營慈済宮を訪れる日本人の

マナーの悪さを耳にしています。

とても悲しい気持ちになります。

 

 

さて、タンキーシリーズも第十章まで来ました。

・・・・長いですねー!!

「もう飽きた」という皆さんの声が聞こえそうです。

しかも、今の私と違い、まあ、ウジウジ暗いですし。

でも、そういう時を過ぎて、今の私があります。

もう少しだけおつきあいいただけたら有難く思います。

(次回から前フリ文も無しにしようかしら)

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第十章

f:id:hanuru-hanuru:20170108174424j:plain

※左營慈済宮の入り口の彫り物。

この表情!なんて愛らしいんでしょうね!

 

私があんなにも疲れてしまった訳を語るには、

話を初めて正義宮を訪れた時に戻さねばならない。

 

  

今回、Tさんとともに桃園空港へと降り立ち、

ホテルにたどり着いたのはもう深夜の事だった。

道を挟んだ目の前にある廟は夜更けにもかかわらず、

竜宮城もかくやのごとき光彩を放って、

その存在感をアピールしていた。

何も知らないでここへ来ても、

あれは何か地元の宗教の建物だとわかっただろう。

 

その廟に限らずとも、

台北に来て、廟を一度目にすれば、

特徴的な装飾物に彩られた姿は覚えられる。

 

だが、実際に見たことがないという方の為に

蛇足ながら説明をしよう。

廟によって多少の違いはあれども、
赤 青 黄色 緑に 金色とさまざまに塗り分けられた

七色の龍が屋根の上にわんさかと乗っかっている。

近づけば、柱に壁にみっちりと龍は勿論、

朱雀に獅子に門神像にetc etc・・・

もはやひとつのオブジェにも見えるような建物だ。

もし、似たような建物が日本にあったなら、

「珍百景」に選ばれていることだろう。

(実際そのような喫茶店が選ばれていたりする)


日本のお寺や神社を形容するような、

「わび」だの「さび」だの・・

シックという言葉のかけらも微塵もありはしない。


賑やかでなんぼ!中華のゴシックでなんぼ!

とでもいった様子なのだ。

いや、どれだけ丁寧に細かく装飾できるかで、

神への尊敬を表わしているとでも言う事なのだろうか。

 

いづれにせよどこを車で走らせようとも

(あ!あそこにも廟がある!こっちにも!)と、

遠めにでも必ずわかる賑やかさなのだ。

間違っても他の何かに見間違うなどはありえない。

 

f:id:hanuru-hanuru:20170108190953j:plain

※ハヌルの高雄開運ツアーの様子。

これでもこの廟は特別派手なわけではない。



ところが。

この「正義宮」はとても簡素な宮だった。

 

周りに明かりが殆どない住宅街の中で

ぽつんと明かりを放っていたそれは、

それまで私が見た事のある廟とはまるで違っていた。

ぱっと見た限りではそのような飾り物はひとつもない。

暗い夜道の中で私には本当に

単なる商店にしか見えていなかった。

 

 

f:id:hanuru-hanuru:20161225215652j:plain

正義宮。昼間なのでかなりわかりやすいが夜は全然目立たない。

この地味加減、上の天后宮と比較していただきたい。

 


もしこの前を車で通り過ぎたら・・・

いや歩いていても、ここに目的の廟があると知らなければ、

私のように気が付かずに通り過ぎかけてしまうに違いない。

立ち止まりその 奥を覗けば、そこには壇が設けられてあり、

さらに奥には長年の線香の煙で燻されて、

真っ黒になった神像が立ち並んでいるので

ああ ここは確かに廟なのだと分かるのだけれど・・・。

 

2017年の私は、高雄にはこの正義宮のような外観の、

小さな廟がいくつもあることを知っている。

それらはマンションやビルの1Fに入っていたりする。

そして幾ら小さくとも大抵は、

表に廟の名前を掲げていることも分かっている。

しかし、この頃は、廟といえば、

独立して存在するものだと思っていたし、

そうでない所も知ってはいたけれど、

もっとこう・・賑々しく飾り物がある所しか知らなかった。

心の準備があるということは、無駄な力を使わずに済むということで。

この正義宮は、地元の知る人だけが訪れる

小さな小さな廟だった。

当然このようなところに観光客や、まして、

外国人など来るはずもなく。

集まっていた20人ほどの人々は、

みな地元の人間のようだった。

そして一様に珍奇なものでも見るような、

遠慮ない視線を浴びせて来るのである。

 

もっと大勢の人が出入りして、

神託を待つ人も大勢いて、

誰も私達を気にもとめないだろうと考えていたのに、

穴が空きそうなほど注視されている。

人に見られる事が大の苦手な私は

それだけで汗が出て顔が赤くなってしまう。

これらの全てがどれも予想外だった。

 

正義宮がひとめで廟とわかるような所であれば

せめてまず、私にも「心の準備」というようなものが

できたのだけれど、

逆に(え?ここ!?)から始まったその夜は、

心の準備どころか心にすきがありまくりのまま、

唐突にジェットコースターに投げ込まれ

いきなり走り出されたようなものだった。

この「心の準備の無さ」が、

あんなにも疲労してしまった

最初の原因につながっていたように思う。

 

じっと見つめられるというより、

機関銃を乱射されているような視線を浴びながら、

土産物屋の黄さんがまず拝拝をしろと私達を促がす。


線香を求めると、

先程熱視線を浴びせていた人々の中から

二人の老人が前へ出てきて、

私とTさんをそれぞれ1人づつ連れて

なんとか拝拝をして回らせて下さった。

私は日本語、老人は中国語と、

言葉は互いに通じ合わないのに、

何故か会話は成り立っている。


手にもった線香は13本。

初めに中から入り口の外に向かって線香をかかげ、

手を振りながら3度頭を下げ礼をし線香を立てる。

そして右回りに土地公など各神々へ

同じように何度も礼をしながら、

それぞれに線香を立てていく。

 

そして最後に今日が誕生日であるという

玉皇上帝こと天公に何度も頭を垂れた。

最初の異変が始まった。

しかし、そのとき私には既に異変が起こリ始めていた。


拝拝をし始めてすぐより、徐々にすぅっと、

自分の意思とは関係なく、

「世界が遠くなり」はじめていた。

 

一歩歩くごとに、どんどんと、

肉体の内側から薄皮をはがすかのごとく、ぺりぺりと

肉を持たない私の「霊的な中身」だけが剥がされていく。

 

やがて、足元でだけ肉体と繋がっているような・・

蝉が蛹から脱皮しているように、

殆どが外へ剥がれでてしまっている状態となり、

私は、老人に連れられて歩き、話し、

そして拝んでいる私自身の肉体を

後頭部の方から「眺め」ていたのだった。

(あぁ 「飛んで」しまう・・・)

 

それは、例えば、オカルト的に言えば、

幽体離脱をしかかっているとでもいうのにも似た状態で、

心理学的に言えば、「離人症」という状態にも似ていた。

私は完全に2つの私に分離しかけていて、

それらはシャム双生児のように

ただ一点で繋がっているに過ぎなかった。

 

私は自分を手放してはならぬと、

ぐっと強く自分の手のひらに鋭く爪を立て握った。

手のひらに傷を付けその刺激で

己を自分の肉体の中へ押し戻そうとしたのだ。



(普通にしなきゃ ・・普通にしてなきゃ・・)

少しでも気を抜けば、

今にも私は自分を運ぼうとする圧倒的な力に、

この身体を明渡しそうになっていた。


(しっかりするんだ・・・
祭壇の前から離れるんだ・・・)

しかし 私の肉の体は泥のように重くなり。

 

ただ手のひらにキツくキツく爪を立てる以外

言うことを聞かなかった。

 

頭は何かを被せられたようにぼーんとしている。

爪の先で傷づいている筈の皮膚の間隔すら遠のいていく。

 

(はな・・れなきゃ・・・)

 

けれど、麻酔をかけられたように、

私の足はもはや動かなかった。

 

《第十一章に続く》

 

 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
霊視 ブログランキングへ スピリチュアルメッセージブログランキング

上記の画像またはリンクテキストをクリックしていただくと、

ランキングサイトにあなたの一票が入ります。

1日一回応援クリックしていただけると大変励みになります。

どうぞよろしくお願いします。 

 

♪皆さんにお目にかかれることを楽しみにしております♪

※滋賀個人セッションは残席1になりました。

hanuru.hatenablog.com

Spiritual Healing Salon ハヌル
 まる料金等(公式HP)
まるお客様の感想
まるお問い合わせ・お申し込み

○*お気軽にフォローください○*
ゆめみる宝石火水ハヌルのTwitterアカウントhttps://twitter.com/hanuru_
ゆめみる宝石Facebookページhttps://www.facebook.com/himitsuhanuru/
ゆめみる宝石LINEブログ http://lineblog.me/hanuru/

【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第九章

f:id:hanuru-hanuru:20170107023452j:plain

高雄市三民区の灣子內朝天宮。

海の女神天上聖母(媽祖)を主祭神とする廟で、

1700年代中期(清朝)に創建され、

歴史的にも価値が高い。

やはりこの緻密さは、新しい廟とは一味ちがう。

偶然通りかかったので拝拝させていただいた。

 

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第九章

f:id:hanuru-hanuru:20170107143700j:plain

 ※童乩は八卦兜と言われる衣装を着て、

(邸さんは着ていなかった)

五寶と言われる法器を持っている。

さらに魘魅鬼怪を遠避ける為の独特の歩行を行う。

神が宿ると両頬を様々なもので突き抜いたり、

背中や顔、舌などを切ったりする。

その血で書かれた符に効力があるという。

(画像)http://times-bignews.com/content.php?t=26002

 

ここで私の前に誰が現れたのかを語る前に、

少し語っておきたいことがある。

 

それは、肉体を持つ私達にとって、

「霊的なビジョンを得る際に必要とするもの」

についてである。

 

 

それは何か。

 

誤解を恐れずに言うならば、私はこう思う。

それは恐らく 「高ストレス状態」だろう。

 

 

私達は程度の差こそあれ、大小様々な、

喜びや苦痛を感じて生きている。

それは肉体的なものであったり、

精神的なものであったり。

個人的なものだけではなく、

社会など外的なものもある。

それらのもたらす「重み」がストレスとなる。

喜びでさえ過剰であれば肉体を害すると、

東洋医学では昔から言われているのだ。

 

 

それは害があるものだけが原因なのではなく。

四季の変化や温度変化など、

一般的な要因が原因のこともあるし、 

例えば、子供においては身体的な成長(及び変化)や、

様々なホルモン分泌の変化などが

ストレスを引き起こすこともある。

急激な骨の成長のせいで起こる成長痛などは

わかりやすい一例だ。

 

www.weblio.jp

 

 

安定を欠いている=不可思議に出会いやすいという仮説

よく大人よりも子供のほうが

不思議な事に出会いやすいと言う。

それは子供の心が清純だからだというよりも、

大人よりも変化の幅が大きく、

様々な圧力を強く受けやすいことから

ある程度精神的に不安定であることが常態となるから

ではないのだろうか。

(この場合の不安定という言葉は

ネガティブな意味だけを示さない)

 

大人の場合であれば、

引っ越しや転職、クラス替えや進級などの環境変化や、

結婚、死別等の人間関係の変化など、

変化による精神的ストレスが、

通常よりも強い負荷をかけるとき

(その事が起こってからある程度の期間を過ぎた後)、

霊的な現象やビジョンを見る例が多いように思う。

つまり、安定を欠いている時だ。

 

例えば瞑想にしても、座禅にしても、滝行にしても、

行と言われるものは往々にして

肉体的精神的な苦痛を与えるものであったりする。

 

それらが始めにもたらすものは、つまりは、

βエンドルフィンの放出なのではないだろうか。

または、高ストレスの結果による、

脳の処理のバグを引き起こしているのではないだろうか。

 

ストレスとβエンドルフィンと霊的ビジョン 

様々な世界のシャーマン達は、

神を初めて降ろす際には、

心がバラバラになるような苦痛を味わうことがある。

青森のイタコの神付けも、やはり、

断食や水垢離をしながら読経を続けるなど、

7日以上の激しいストレスを与えられた結果、

心身耗弱常態に陥ってより初めて神が降りてくるのである。

(もちろん、そういった修行が、

心を清浄にするものであるという事について

否を唱えるものではない。)

 

例えば有名な聖女ジャンヌ・ダルク

側頭葉てんかんだったという説もあるが、

当時のフランスが非常に不安定であったこと、

黒死病によって国民が大勢亡くなっていた事、

またジャンヌが住んでいた村も

何度も襲われ焼き討ちにあっている事など

かなりの激しいストレスにさらされていた点は

注目すべき点ではないだろうか。

 

脳のバグにしろ、

βエンドルフィンの放出にしろ、

それを引き起こすためには、

強い負荷が必要なのだと思われる。

それが「霊的ビジョン」を得る為の

肉体的ベースとなるのではないかと

長年に渡って私は考えてきた。

かつてアメブロでは、

このこと(外的内的なストレス圧力の結果による脳のバグ)を

「神によるズラシ」という言葉で表現していた時もある。

 

しかしこのあたりは、私に医学知識も無く、

誰かに話しを聞いたわけでもないので、

実際にはどうなのかは分からない。

ただ、長年自分なりに考えてきたに過ぎない。

しかし、今回このブログを書くにあたって、

私のこの想像に対して、参考になりそうなものを見つけたので、

引用させていただこうと思う。

 

宗教的神秘体験のあるものは、脳内麻薬やそれに類する薬物を利用した作用の結果とも言われる。また宗教上の難行・苦行に対しても、その苦痛がかえって脳内にβーエンドルフィンを分泌し、A10神経を興奮させ、いわゆる宗教的快感(恍惚)をもたらす。短い静かな祈りの場合には微量分泌されるし、リラックス効果などによる「良好な効用」が確認されている。しかし、声を出して長く祈っていると、βーエンドルフィン分泌が過剰になって快感を覚える様になり、これを繰り返すと依存症になりやすい。

脳内麻薬βーエンドルフィンと依存症

 

使徒言行録にある聖霊体験(ルカの異邦人教会には霊的熱狂主義が流行っていた)も、閉鎖空間で長時間一心不乱に祈っていると、脳内が酸欠状態にもなり、βーエンドルフィンと同時にドーパミンも大量に分泌され、快感として感じさせる(忘我、憑依現象、シャーマニズム)。思考のコントロールセンターである前頭野は抑制され、側頭野は活発になり、大脳辺縁系も興奮して幻聴や幻覚を見やすくなる。訳の分からない言葉を喋ったり(異言)、恍惚として預言を語ったりもする 。

脳内麻薬βーエンドルフィンと依存症

 

腹側被蓋野のA-10から前頭葉まで伸びる神経路は俗名・快感神経系と呼ばれ、そのスイッチを入れるのがドーパミン。快楽神経系が興奮すると、人は快感を感じて身体の動きが活発となり、ユーフォリア(快感、幸福感、ハイテンション)を得る。しかし、ドーパミンを過剰に消費する状況下では、幻聴・幻覚・妄想を生じやすく、精神分裂病によく似た症状が出る。ドーパミン覚醒剤と良く似た構造を持っているので、覚醒剤依存がやがて精神分裂病によく似た症状を来すのも、ドーパミンの過剰消費と同じ原理だ。

脳内麻薬βーエンドルフィンと依存症

 

【過去に書いた関連記事】

ameblo.jp

 

例えば、アヤワスカ大麻など、

シャーマン達が幻覚作用のあるものを

伝統的に活用していた事例があることからも、

これらのことがまったく的外れだとは

言えないのではないかと思う。

 

 

なぜ心の清濁がコントロールに必要なのだろうか

f:id:hanuru-hanuru:20170107183640j:plain

伊弉諾大神が禊祓をなさった天竜池。

とても素晴らしい所でした。

今年も行けたらいいなぁ・・。

 

 

しかしこういった状態は、結局のところ、

現実と非現実の両方へ足をかけることである。

(いや、ニューエイジやスピの世界では、

非現実の方を現実として飛び込んでしまう人も

多いのかもしれない。)

そして私が散々思い悩んでいたように、

非現実は、妄想へと地続きにつながっている。

それは依存症や異常と背中合わせなのだ。

 

故に、シャーマンや宗教者達は、

単なる入り口としての負荷ではなく、

己を正常に保つために

この世とあの世の様々な事を学び、

立ち現れてくる存在に対し、

頓着をしない注視をしないということを学び、

心の垢を落とすように努力をなさるのではないだろうか。

 

 

こういった「ミエナイ世界」と触れ合っていくには、

肉体的には勿論のこと

精神的な体力(エネルギー)が必要であるし、

それらが暴走しないように

自己コントロールができるための、

冷静さ=智恵が必要なのだろうと思う。

 

 

つまり、シャーマンや、霊視などを行う者は、

自らのインナーワールドの中を通って、

物質の向こうの「外界」に触れるからである。

ウロボロスの輪のようにも聞こえる話で申し訳ないが、

「外」へ飛翔したものは同時に「中」へダイブする)

故に世界を作るエネルギーの一端が

自分の意識の中に潜むものに姿を変えて、恐ろしい形相したり、

惑わすような誘惑を見せてくることを避けるように、

心の浄化と正常化を意識的にしなくてはいけなくなる。

全ては自らの意識の投影なのだから。

そしてこの投影の世界を「生きながらに超えていく」のは

とても大変なことなのだろうと思う。

 

私たちは、天の破れ目の隙間の向こうに見える光を

ただ覗くにすぎないのだろう。

 

 

ひとりで全てを行うシャーマンの場合は。

閑話休題

 

つまり、霊的ビジョンを得る為に、

最初は高ストレスを必要とするが、

一度その回路が出来てしまうと、

やがて一定の音や所作や香り等をスイッチとすることで、

ある程度コントロールすることができるようになっていく。

人によっては意識上だけで

そのスイッチを入れる事ができるようになるのだろう。

それがシャーマンと呼ばれる人たちなのではないだろうか。

 

そして童乩に桌頭がいたり、御嶽教の中座に前座がいるように、

コントローラーや、通訳者などが第三者として存在しない場合には、

結局のところシャーマンは、自分を2つに割いて、

半身を捧げながら、残りのもう半身で、

自己意識をいかに強靭に保つかということになってくる。

そうでなければ、質問者に答えられないからだ。

 

 

神も天使も友達ではないし、

気軽な茶飲み友達でもない。

 

 

前回の第八章を思い出して欲しい。

 

さらに、初めてシャーマンという人にであった緊張と

その興奮の時間を過ごしたせいか、

急激に激しい疲労を感じていた。

【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第八章

 

しかしそれ以前に、肉体的にも疲れすぎていた。

 

(気を抜いたら即座に眠りに落ちてしまう・・)

 (寝る、寝てしまう、間違いなく寝る、やばい)

【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第八章

 

 私がこの状態に陥ったのも、

単なる旅疲れだったわけではなかった。

ただ、この時の私には、「そのような疲れ」だと、

自分で自分を認めたく無かっただけなのである。

 

ではなぜ「そのような疲れ」を感じるに至ったのか、

それを次回書きたいと思う。

 

《第十章に続く》

 

 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
霊視 ブログランキングへ スピリチュアルメッセージブログランキング

上記の画像またはリンクテキストをクリックしていただくと、

ランキングサイトにあなたの一票が入ります。

1日一回応援クリックしていただけると大変励みになります。

どうぞよろしくお願いします。 

 

♪皆さんにお目にかかれることを楽しみにしております♪

hanuru.hatenablog.com

Spiritual Healing Salon ハヌル
 まる料金等(公式HP)
まるお客様の感想
まるお問い合わせ・お申し込み

○*お気軽にフォローください○*
ゆめみる宝石火水ハヌルのTwitterアカウントhttps://twitter.com/hanuru_
ゆめみる宝石Facebookページhttps://www.facebook.com/himitsuhanuru/
ゆめみる宝石LINEブログ http://lineblog.me/hanuru/