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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第11章

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台南市安平老街劍獅埕の四面金剛劍獅。

本来の劍獅は清朝から使われている辟邪の図案で、

必ず口に七星剣を咥えている。この像は近年作られた立像。

七星剣は両面に北斗七星が刻まれており、

妖かしや魔に対して最強の法具とも言われ、

童乩の道具の一つでもある。

 

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第11章

 

天公の前から動く事ができない私は、

肉体から分離していこうとする「私」を離さぬよう、

全ての意思の力を使って捕まえていた。

「私」は強い浮力を持つ熱気球のように、

上へ上へと飛んでいこうとしていた。

 

私をこの尋常ならざる状態へ陥らせている原因、

それは「神威(しんい)」だった。

この事について私は以前以下のように書いている。

 

 神威(しんい)とは、神が持つ霊波のようなもので、

神の圧力とでも言えば良いのだろうか。
(うまく説明できないのだが・・・)

それが神威というのが正しいのかもわからない。

この霊波自体には何の意思も何もなく、

海が波を生むように神から湧き出る力の波のようなもので。

そしてそれは神がただ「在る」だけで生まれ出でるもの。

であるから、この波動自体は、

エネルギー波と思っていただいてもいいのかもしれない。

またそれは神本体自身の持つ波長とは、

なぜだか微妙に違っていたりすることもある。

 

この「神威」を初めて感じたのは、

かつて岐阜県の名水で有名な高賀神社を訪れた時だった。

それ以来、高賀神社でそれを感じる時は、

単純にいつも「神様の波動」と自分の中では呼んでいた。

気配と呼ぶにはあまりにも強く、

私を揺るがす力も大きかったからだ。

 

アセンションでゲートが開くというブームの前夜に。

この高賀神社へ行ったのは、

やがてアセンションの時が来ると

世間で流行り始めていた頃で、

この童乩と出会った旅よりも更に更に以前の事である。

高賀神社は今で言うパワースポットとして十分に知られていて、

「感じる」人達がわざわざ訪ねる場所のひとつだった。

 

 

私をそこへ連れて行っていたのは、

アセンションで次元上昇をしてゲートをくぐる、

選ばれし人だけが乗る事ができる船」の

リーダーを自称していたスピ女性で、

私はちょっとした運命のいたづらによって、

その女性が認める「選ばれし人」の1人になってしまい、

高賀神社へ行ったのである。

その結果、私は「神の波動」に初めて出会うことになった。

 

ところが、そこに一緒にいたスピ女性とその仲間たちは、

誰ひとりとしてそれを感じる人はいなかった。

それどころか、「波動」の事を口に出した私に対して、

みんながポカンとしていた事を覚えている。

それは私にとって酷くバツが悪いものだった。

なにより私は、「私だけが分かるのよ」的な事は、

とても恥ずかしいし嫌悪するタイプだったので、

口に出したことそのものを後悔した。

 

その後、その人々と付き合わなくなり、

そして、いろんな場所でこの「神様の波動」を感じても、

誰かに話すことはしなくなった。

大抵は軽い耳鳴りとめまいの直前のような体感と、

ただポカポカと楽しい心持ちがするくらいのもので、

そこまで強く私に影響を与えることもなかった。

そして月日が流れるうちに、

この事は何でもない事のひとつとして、

私の中では深く考えない物事のひとつになっていった。

 

ところが。

 

それは、みえない何かの声だった

 

こうして台北で天公の前で必死に立っている私に、

『しんい(神威)』

と”何か”が突然言葉を告げたのだ。

 

頭は鉢か何かをかぶせたように

ぼんやりとしているのに、

その言葉ははっきりと聞こえてくる。


『神威』

 

『神威』



何も疑うことはなかった。

それは、みえない何かの声だった。

いや、正しくいうなら音のない声とでもいうべきもの。

鼓膜を通さず、ダイレクトに脳の中で

振動する言葉として現れる第三者の意識。

・・・意識というには、

あまりにもフラットで混じり気のないもの。

 

 

かつてこの事を書いた時、

私は書きながら恥ずかしさに悶え、

躊躇い躊躇い綴っていった。

2017年の私は、今、これを書きながら、

不思議なほど恥ずかしさを感じていない。

ただ、淡々と、記憶をひっくり返しながら書いている。

なんとなく、この事は、

きちんと書き直しておかねばならない気がして。

 

 

 私にそれを告げた”何か”。

 

私の斜め上方に

肉の目には映らぬ白金色の光が現れていた。

 

 

それは今まで日本ではアクセスしたことのない種類の・・・

私の知らぬ異国の「神」の光であった。

しかし間違いようのない「神」が放つ光そのものであった。

 

まだ 童乩が神を呼んだわけではないだろう。

私が拝拝を始めた時、

彼は入り口近くで雑談をしていた筈だ。

当然、私が神を呼んだわけでもない。

それでも、これは、確かに「神」の前触れの光だった。

 

何故いま現れたものについて、

「神」だとわかったのかはわからない。

そして『神威』と告げたのが誰なのかもわからない。

そもそも、これだけ疑い深い私であるのに、

疑問ひとつすら湧かなかった。

今私に影響を与えているこの「神の波動」を

『神威』と言うのだと、素直に受け取っていた。

 

そして私がこれまで日本では、

一度も感じた事がなかった強烈な波動の源が、

この廟の主祭神である天公なのであった。

 

(ああ・・・どうしよう・・)

 

天公の強い強い神威が、

私の中の「私」を激しく鳴動させながら、

さらには肉体の自由を奪っただけでなく、

その身体を自由に揺り動かそうとしていた。

 

 

抵抗・・・他人様の場所に割り込みたくない。

私は自由にならぬ自分の身体の主導権を取り戻そうと、

ただただ必死に抗っていた。

このままでは完全に「神懸かり」になってしまう。

なんとかそのことだけは避けねばならぬと

必死の抵抗を続けていた。

 

 

ここは台湾の廟で。

ここにはきちんとタンキーがおいでになるのだ。

すなわち他人様の土俵である。

 

何の縁もゆかりもないような、私などが、

勝手に神威をいただき

神懸かってはならないに決っている。

そんな失礼な事になってはいけない。

外国から押しかけてきた挙句、

あまりにも無礼ではないか。



けれどそう思う私の意思など無視して、

勝手に我が手がまるで舞いでも舞うかの如く、

動き出そうとする。

渾身の力で押さえつけている両足も、

何かに操られるかのように踊りだそうとする。

 

あの、暖かで、なおかつ強大な光圧を受けて、

既に神が近づいてきたときそのままに、

両の目は半眼以上には開かなくなっていた。

 

 

「日常」に混じりこむ私という名前の異物。

私の斜め後ろでは、拝拝を終えたTさんが

進められるまま椅子に腰掛け,

白湯を渡されているのが

振り返りもしないのに「視え」ている。

 

(今私が味わっているものは本当は全て、

妄想なんじゃないのか。

事実、神威の影響であるならば、童乩だって、

何か言ってくるんじゃないのか。)

 

(本当はなんにも起こっていないのではないのか?)

 

(いや・・・・ こうなっているのをばれないように、

全ての力を使って押さえ込んでいるのだから、

何も言われなくてあたりまえなんじゃないか。)

 

 

廟の中にいる人々はみな、 和やかに談笑していた。

その喋り声が、様子が、あまりに”日常的”だった。

今この瞬間私に起こっていることを、

誰も気がついていないということに

安心と不安の思いがぐるぐる交差した。

 

 

 

(ああ、まるで、 まるで。私だけが。

私だけ世界から除け者にされているみたいだ。)

 

 


霊的なものがもたらす心の内の葛藤とは別に、

はたから見たらただ真面目にお祈りしているだけの、

普通の様子に見えていて欲しいという

人間としての自分の見栄っ張りがもたらしている

もうひとつの葛藤も実は働いていて、

ただ飛んでいきそうになっている自分を抑えるだけでなく、

見た目を取り繕うことにも相当必死になっていた。

ここまで来ても、頑強な私の自意識は失われておらず、

「変な様子」の日本人だと思われたくないという気持ちが

がっしりと居座っていたのだ。

けれど、そうは言うものの、

神威の圧力はどんどんと勢いを増し、

やがてそれどころではなく、

ただ意識を保つという事だけで手一杯になりかけてきた。

 

 

どうにかなってしまいたいという欲求。

日本より南にあるとはいえ、

仮にも冬である夜更けの台北は、

風が吹けばそこそこ寒くなる。

外を歩く人の中には、

ファーのついたコートを着ている人もいたほどだ。

 

ところが、私は、

湯気が立ちそうなほど汗をかいていた。

 

拝み続ける形で固まってしまった私の身体は、

いまや肉の包み紙でしかなくなっており、

抜け出しきれなかった「中身」の他にまだ、

体内になにかがあるようで、

今度はそちらがまるで沸かした湯のようにごぼごぼと沸騰し、

流れを作って奔流となり対流を生み出していく。


それらの発する熱と蒸気が、

頭の登頂から天へと蒸気機関車の煙のように

ごおごおと抜けていく代わりに、

背中の背筋に沿うようにして、

とろとろと金色の暖かな何かが流れ込んできては、

どろりと胸で金色の輪を描きくるくると回っている。

 

既に茹だったようだった私の身体は、

やがて燃えるようにさらに熱くなり、

顔、 特に額の中心が火を噴いているかのように熱く、

私はおでこから、だらだらと滝汗が

流れ落ちてくるのを感じていた。

いや、おでこだけではない。

全身汗でびしょ濡れになっていた。


(限界だ)

 

一瞬でも気を抜いたらドミノが倒れるように、

どうにかなってしまうのを感じる。

けれど、もう限界だった。

気力も体力も、そろそろ尽きてしまいそうだ。

もう・・ 「自分」を保てない、そう思う。

 

(ああ、いっそどうにかなってしまっていいのなら、

なんでもいい、なってしまいたい。)

 

全てを開放して身をまかせてしまえたら。

 

だけど、それは無理な相談だった。

ここは童乩のいる廟で、

「変になった私」を

サポートできる人などいないのだ。

私ができることは、ただ、

己を保つこと、それだけ。

 


明け渡すことのできない自意識を超える「疲労」

もう一分と無理だと思った瞬間、

持てる最後の全ての力を振り絞ると、

私はどうにか祭壇の前から身体を無理やり引き剥がした。

ギリギリ・・自分を失う事なく間に合ったのだ。

そのまま私はTさんの横の椅子へ

横倒しになりながら倒れ込んだ。

 


(神懸からないよう拒絶するのが
こんなにつらい事だったなんて・・・)

 

全ての力を使い果たして、

うまく椅子にも座れない。

半分ずり落ちかけながら腰掛ける私へ、

お婆さんが白湯と大きなみかんを差し出し、

にっこりと微笑んだ。


手のしぐさで 食べなさいと

そう言ってくれているのだと分かる。

「ありがとう ・・・謝謝」

 

今はもう、

手渡された物の重さがしんどい。

本当は持つのも少し辛かった。

それでも、お婆さんは

外国人のお客さんへのもてなしのつもりで

渡してくれたのだろうと、

その気遣いが申し訳なくて、

飲みたくもない白湯を一口無理やり口に運ぶ。

 

とはいえ、神と私の接続はまだ切れてはいない。

先程までと比較したら、

かなりおさまって来ているとはいえ、

皮膚の感覚がまだ通常とはまったく異なっており、

まだ自分が日常に帰っていないと分かっていたのだ。

それでも、この程度であれば、

私は「現実」に十分とどまる事ができる。

それくらいの事には勿論慣れていたからである。

ただ、今起こったことほどの、

強制的に忘我の状態へと押しやられるような、

全てを押し流していく強烈な神威に

さらされたことが無かっただけなのだ。

 

みかんの皮から香る爽やかな香りが

少し私を現実へと引き戻す手伝いをしはじめる。

 

霊的になりすぎたとき、

自分を現実の中へ引き戻すのは、

味や香りや肌感覚といった、

三次元の刺激が何より一番で。

それでも、使ってしまった気力と体力を

回復するのは難しく、

あとはどうにかホテルまでしゃんとした見た目を

とりつくろうしかないと思う。

 

童乩のご信託を受けに来ただけのはずなのに。

なぜこんな疲労困憊しなくてはならないのだろう。

 

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※台南・林百貨で出会ったワイヤーアートの孫悟空

 

このようにして、私は、旅の疲れだけでなく、

童乩にであった1日目から

徹底的に体力気力を使う羽目となり、

余りの疲れで夜は眠ることもできず

ただ寝返りを何度も繰り返し続けた。

今から思えば、明らかに、

普通の旅疲れと、神疲れの

両方を起こしているのだけれど、

当時はそんなことを思う事自体が、

申し訳ないような気がして認められなかった。

何故なら、自分のこれは、

すべて妄想なのかもしれないのだから。

明日は病院へ行けと神託を受けるかもしれないのだからと、

そう思っていたのだ。

 

この後は、紅紙に自分の問を丸付けし、

神様へ問を送っていただく儀式をし、

翌日は昼間は仕事をしてより、

2日目の託宣をいただく夜につながっていく。

この初日の前の晩も所用でほぼ眠る事ができなかったので、

2日目の夜の時点で、

およそ3日まともに眠っていない状況になる。

結果、睡魔に襲われつつ眠る事を恐れながら、

観想をさせられた状態へなったのである。

 

そして、座らされた私が、

起きているのか眠っているのか判別がつかなくなり、

起きながらに夢を見ている状態に入った時、

ついに、私に縁あるという、

ある方のヴィジョンが現れてくるのである。

 

 

私の場合、この章でも書いているように、

相当に自意識が強い。

かなりの所まで行っても、

他人の目や自分の目を忘れる事がない。

そもそも手放したくなくてしがみついているのだが)

 

第九章で様々な要因による高ストレスが

霊的ビジョンと関係がある可能性を書いた。 

睡眠不足+旅疲れ+神疲れという

心身の過疲労すなわち、高ストレスが、

頑固に居座る自意識を手放しやすくしたという想像は

たぶん間違いではない。

そして更にそのことと、

第九章における脳内麻薬についての話しは関連がある。

疲労による苦痛を感じにくくするように

通常よりも多くの量が放出され

(または再吸収取り込み状態?なのだろうか・・)

私の観想のドアを開けやすくした可能性も高いと思う。

 

 

占星術で言えば麻薬は海王星領域で、

夢も幻覚も神霊的な世界も同じく海王星の中にある。

 脳内麻薬物質も当然、海王星の世界に属するだろう。

その意味は予想以上に深い。

 

 

《第12章へ続く》

 

 

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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第十章

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※左營慈済宮。主祭神は保生大帝。

保生大帝は581年(随)頃に生まれた

孫思襞という人物で医学の偉人の1人。

その著作「千金翼方」は遣唐使によって

我が国へもたらされている。

 

お正月に飲む、お屠蘇はこの孫思襞に由来します。

中華文化圏では保生大帝と呼び医神として祀っているのです。

実在の人物が後世神として祀られている例としては、

他に関公(関羽)や媽祖(林默娘)などがあります。

 

保生大帝と東醫寶鑑について以前書いた記事はこちら。

ameblo.jp

 

高雄を訪れる日本人が増えた事は嬉しいのですが、

蓮池潭や左營慈済宮を訪れる日本人の

マナーの悪さを耳にしています。

とても悲しい気持ちになります。

 

 

さて、タンキーシリーズも第十章まで来ました。

・・・・長いですねー!!

「もう飽きた」という皆さんの声が聞こえそうです。

しかも、今の私と違い、まあ、ウジウジ暗いですし。

でも、そういう時を過ぎて、今の私があります。

もう少しだけおつきあいいただけたら有難く思います。

(次回から前フリ文も無しにしようかしら)

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第十章

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※左營慈済宮の入り口の彫り物。

この表情!なんて愛らしいんでしょうね!

 

私があんなにも疲れてしまった訳を語るには、

話を初めて正義宮を訪れた時に戻さねばならない。

 

  

今回、Tさんとともに桃園空港へと降り立ち、

ホテルにたどり着いたのはもう深夜の事だった。

道を挟んだ目の前にある廟は夜更けにもかかわらず、

竜宮城もかくやのごとき光彩を放って、

その存在感をアピールしていた。

何も知らないでここへ来ても、

あれは何か地元の宗教の建物だとわかっただろう。

 

その廟に限らずとも、

台北に来て、廟を一度目にすれば、

特徴的な装飾物に彩られた姿は覚えられる。

 

だが、実際に見たことがないという方の為に

蛇足ながら説明をしよう。

廟によって多少の違いはあれども、
赤 青 黄色 緑に 金色とさまざまに塗り分けられた

七色の龍が屋根の上にわんさかと乗っかっている。

近づけば、柱に壁にみっちりと龍は勿論、

朱雀に獅子に門神像にetc etc・・・

もはやひとつのオブジェにも見えるような建物だ。

もし、似たような建物が日本にあったなら、

「珍百景」に選ばれていることだろう。

(実際そのような喫茶店が選ばれていたりする)


日本のお寺や神社を形容するような、

「わび」だの「さび」だの・・

シックという言葉のかけらも微塵もありはしない。


賑やかでなんぼ!中華のゴシックでなんぼ!

とでもいった様子なのだ。

いや、どれだけ丁寧に細かく装飾できるかで、

神への尊敬を表わしているとでも言う事なのだろうか。

 

いづれにせよどこを車で走らせようとも

(あ!あそこにも廟がある!こっちにも!)と、

遠めにでも必ずわかる賑やかさなのだ。

間違っても他の何かに見間違うなどはありえない。

 

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※ハヌルの高雄開運ツアーの様子。

これでもこの廟は特別派手なわけではない。



ところが。

この「正義宮」はとても簡素な宮だった。

 

周りに明かりが殆どない住宅街の中で

ぽつんと明かりを放っていたそれは、

それまで私が見た事のある廟とはまるで違っていた。

ぱっと見た限りではそのような飾り物はひとつもない。

暗い夜道の中で私には本当に

単なる商店にしか見えていなかった。

 

 

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正義宮。昼間なのでかなりわかりやすいが夜は全然目立たない。

この地味加減、上の天后宮と比較していただきたい。

 


もしこの前を車で通り過ぎたら・・・

いや歩いていても、ここに目的の廟があると知らなければ、

私のように気が付かずに通り過ぎかけてしまうに違いない。

立ち止まりその 奥を覗けば、そこには壇が設けられてあり、

さらに奥には長年の線香の煙で燻されて、

真っ黒になった神像が立ち並んでいるので

ああ ここは確かに廟なのだと分かるのだけれど・・・。

 

2017年の私は、高雄にはこの正義宮のような外観の、

小さな廟がいくつもあることを知っている。

それらはマンションやビルの1Fに入っていたりする。

そして幾ら小さくとも大抵は、

表に廟の名前を掲げていることも分かっている。

しかし、この頃は、廟といえば、

独立して存在するものだと思っていたし、

そうでない所も知ってはいたけれど、

もっとこう・・賑々しく飾り物がある所しか知らなかった。

心の準備があるということは、無駄な力を使わずに済むということで。

この正義宮は、地元の知る人だけが訪れる

小さな小さな廟だった。

当然このようなところに観光客や、まして、

外国人など来るはずもなく。

集まっていた20人ほどの人々は、

みな地元の人間のようだった。

そして一様に珍奇なものでも見るような、

遠慮ない視線を浴びせて来るのである。

 

もっと大勢の人が出入りして、

神託を待つ人も大勢いて、

誰も私達を気にもとめないだろうと考えていたのに、

穴が空きそうなほど注視されている。

人に見られる事が大の苦手な私は

それだけで汗が出て顔が赤くなってしまう。

これらの全てがどれも予想外だった。

 

正義宮がひとめで廟とわかるような所であれば

せめてまず、私にも「心の準備」というようなものが

できたのだけれど、

逆に(え?ここ!?)から始まったその夜は、

心の準備どころか心にすきがありまくりのまま、

唐突にジェットコースターに投げ込まれ

いきなり走り出されたようなものだった。

この「心の準備の無さ」が、

あんなにも疲労してしまった

最初の原因につながっていたように思う。

 

じっと見つめられるというより、

機関銃を乱射されているような視線を浴びながら、

土産物屋の黄さんがまず拝拝をしろと私達を促がす。


線香を求めると、

先程熱視線を浴びせていた人々の中から

二人の老人が前へ出てきて、

私とTさんをそれぞれ1人づつ連れて

なんとか拝拝をして回らせて下さった。

私は日本語、老人は中国語と、

言葉は互いに通じ合わないのに、

何故か会話は成り立っている。


手にもった線香は13本。

初めに中から入り口の外に向かって線香をかかげ、

手を振りながら3度頭を下げ礼をし線香を立てる。

そして右回りに土地公など各神々へ

同じように何度も礼をしながら、

それぞれに線香を立てていく。

 

そして最後に今日が誕生日であるという

玉皇上帝こと天公に何度も頭を垂れた。

最初の異変が始まった。

しかし、そのとき私には既に異変が起こリ始めていた。


拝拝をし始めてすぐより、徐々にすぅっと、

自分の意思とは関係なく、

「世界が遠くなり」はじめていた。

 

一歩歩くごとに、どんどんと、

肉体の内側から薄皮をはがすかのごとく、ぺりぺりと

肉を持たない私の「霊的な中身」だけが剥がされていく。

 

やがて、足元でだけ肉体と繋がっているような・・

蝉が蛹から脱皮しているように、

殆どが外へ剥がれでてしまっている状態となり、

私は、老人に連れられて歩き、話し、

そして拝んでいる私自身の肉体を

後頭部の方から「眺め」ていたのだった。

(あぁ 「飛んで」しまう・・・)

 

それは、例えば、オカルト的に言えば、

幽体離脱をしかかっているとでもいうのにも似た状態で、

心理学的に言えば、「離人症」という状態にも似ていた。

私は完全に2つの私に分離しかけていて、

それらはシャム双生児のように

ただ一点で繋がっているに過ぎなかった。

 

私は自分を手放してはならぬと、

ぐっと強く自分の手のひらに鋭く爪を立て握った。

手のひらに傷を付けその刺激で

己を自分の肉体の中へ押し戻そうとしたのだ。



(普通にしなきゃ ・・普通にしてなきゃ・・)

少しでも気を抜けば、

今にも私は自分を運ぼうとする圧倒的な力に、

この身体を明渡しそうになっていた。


(しっかりするんだ・・・
祭壇の前から離れるんだ・・・)

しかし 私の肉の体は泥のように重くなり。

 

ただ手のひらにキツくキツく爪を立てる以外

言うことを聞かなかった。

 

頭は何かを被せられたようにぼーんとしている。

爪の先で傷づいている筈の皮膚の間隔すら遠のいていく。

 

(はな・・れなきゃ・・・)

 

けれど、麻酔をかけられたように、

私の足はもはや動かなかった。

 

《第十一章に続く》

 

 

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