臘月なので臘祭と臘八節について語ってみる。
2022年始まりました!
旧年中は当ブログをお読みくださり、誠にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
喪中につきまして新年のご挨拶は ご無礼ご容赦くださいませ。
御縁をいただかせていただいた皆々様、 幸多き良き年となられますようお祈り申し上げます。
そして 農暦(旧暦)暮らしの皆様は、 いよいよ残り一ヶ月の丑年を楽しんで参りましょうね。
え? 丑年?? もう寅年でしょ???
いえいえ、東洋占をやっておいでならご存知だと思われますが、干支が切り替わるのは立春です。今年の立春は2月4日ですので、これからまだ一ヶ月辛丑年があるのです。
西暦では年が変わっても、農暦・旧暦ではやっと12月に入ったばかり。最後の1ヶ月の開運日と行事についてアメブロに書きましたので、よかったらお読みください。
ということで、話は戻りまして、農暦・旧暦の12月の話をば。
12月の別名は臘月
12月のことを師走とよく言いますが、別名を臘月とも言います。禅や茶道をなさっておいでの方であれば、「看看臘月尽」という言葉でご存知かもしれませんね。
陰暦12月は臘祭を行う月なので臘月と呼ばれたと言われています。臘は冬至から数えて3回目の戌の日に神々や祖霊へ捧げものを行う祭祀の日でした。
臘日は年に五日ある
道教では臘日は年に五回あります。
正月一日名天臘,五月五日名地臘,七月七日名道德臘,十月一日名民歲臘,十二月節日名侯王臘。此五臘日並宜修齋並祭祀先祖。
--雲笈七籤卷三七
各日すべて臘の文字がついていますが、このうちの12月に行われる侯王臘が、日本で一般的に知られている臘日ですね。
とはいえ、日本の場合、暦注の中に臘日の文字が残るだけで、どのような謂れがある日であるのかはあまり伝わっていないようです。
臘とはなにか?
陰暦12月の頃は空気がとても乾燥する時節です。臘とは「干肉」を表す言葉で、古代においてこの時期に様々な動物や魚などを干して乾物にし保存食を作り、秋の収穫とそれらを神に捧げ感謝を示したことが臘月という言葉につながっています。
ところで、漢應劭の風俗通義に、
夏曰嘉平,殷曰清祀,周曰大蜡,漢改為臘。臘者,獵也,言田獵取禽獸,以祭祀其先祖也。
とあり、臘月の臘は獵のことであると書かれています。ネットで日本語で書かれたものを見ると、こちらの説に準拠したものが多いようですが、個人的には上に書いた干し肉説のほうがなんとなくしっくり来る気もします。また臘は接着するから年をつなぐという話もみました。
この祭祀は臘祭といい、冬至が年の始まりであった頃には、こちらが正月の行事であったのではないかという話もあります。冬至からだんだんに日が長くなっていくことと、再び豊かさをいただけるようにと願うことが関連していた可能性はあるかもしれませんね。(ちなみにそもそも古代の正月は必ず1月とは決まっておらず、12月だった時もあり、10月だったこともありました)
臘祭と臘八節の関わり
臘祭はかなり古い時代から行われていたようで、野山で獣を捕まえ、ご先祖さまと五位の家神(鬥神、戶神、宅神、灶神、井神)に供えお祭りをし、翌年の五穀豊穣、家内安全等を願うものでした。必ず一年の終わりの月に行っていたので、その月を秦漢以降は臘月と呼び習わすようになりました。しかし、この頃はまだ決まった固定の日付ではなく、擇日により祭る日を決定していました。
漢代になると、臘祭の中に邪気祓いや難を避ける意味合いが強くなっていくとともに、やがて冬至後の三回目の戌の日に臘祭を行うことが決められます。これは、冬至の日付そのものが陰暦の中では固定されていなかった為です。例えば冬至が11月の初旬であっても、最初の戌から3回目の戌までの24日間を冬至から数えることで、12月開催にできるというものだったようです。(なぜ戌だったのかは、また次回にでも)
十二月日,薦稻雁。期前五日殺豬,三日殺羊,前兩日齋饌掃滌,遂臘先祖五祀,臘明日,謂之小新歲。進酒降神,進酒尊長及修刺賀君師耆老,如正日,明日復祀。謂之蒸祭。後三日,家祭事華畢乃召請宗親姻賓旅,講好和禮,以篤恩記。休農息役,惠及下洽。是月也,群神頻行, 大蜡禮興。乃祠君師九族友朋,以崇慎終不背之義。
--四民月令校注
東漢時代の洛陽に住んだ崔寔の「四民月令」によれば、その頃の臘祭は、翌日を小新年としています。そして元日が明けると再び祭祀を行う(蒸祭)とあります。この流れを見ても、古代から行われてきた、その年得られた豊かさへの感謝と翌年への望みという流れの中にある非常に大きな意味合いがある祭りであったことが想像されます。
南朝時代の頃、仏教の臘八節と臘祭の名前が似ていたことと、時期が同じころだったこと、また、祖先霊への祭祀の側面が強くなったことなどから混同されるようになっていきます。
臘八節と日本
臘八節の方は日本にも伝わっていて、現代でも行われている所もあります。
毎年12月8日に行われ,灌仏会,涅槃会とともに〈三仏会〉と称し,釈迦の三大法会として重んじられる。禅宗の大寺では12月1日から8日の朝まで7日間不眠不休の座禅が行われるが,これを臘八会(ろうはちえ∥ろうはつえ)または成道会と称し,臘八接心(せつしん)ともいう。臘八とは臘月(12月)8日の意。
世界大百科事典 第2版
こちらは京都のお寺で昨年行われた記事です。
臨済宗最大の行事で、一年間の修行を集大成する。12月1日から8日の早朝まで、雲水(禅宗の修行僧)がほとんど不眠不休でひたすら坐禅を組む荒行。釈尊が12月8日に悟りを開いたことにちなむ。(写真は万福寺外観。同寺提供)
もともと中国古来の伝承で、12月に「臘祭」を祝い、その年の豊作を感謝した。紀元5世紀ごろから、12月8日に祝われることになった[1]。
また、中国仏教の伝承では、釈迦牟尼が苦しい断食の修業中にスジャータという女性が食べさせてくれた粥で元気が出て、悟りに至ったのがこの日だという。他の伝承では、6年の歳月を毎日1食の断食修業の後にこの日の暁の明星を見て菩提樹のもとで悟りを開き、五穀の入った粥を食べたという伝承に基づいている。
「成道会」の名前のほうが親しみある方もいらっしゃるかもしれませんね。
元々の中国でも盛大に行われています。
「臘八節」は仏教と儒教のお祝いの日でもありますから、毎年この日になると、さまざまな食文化を持つ中国人もみんな臘八節を代表する「臘八粥」を食べます。多くのお寺もお粥の無料配布イベントを行い、境内で参拝者の幸福を祈ったり、僧が誦経したり、仏を供養したりして、このような伝統行事を行うことで「臘八」という文化を若い世代に伝わります。
上の記事にもあるとおり、現代の臘八節には小豆などの入ったお粥「臘八粥」を食べることが盛んに行われていますが、一方沖縄では、臘八節と同じ陰暦12月8日にムーチーを食べる風習があるそうです。
ムーチー(餅、鬼餅)は、沖縄県の行事、およびそこで食される菓子の一種。「餅」の一種を意味する沖縄方言であり、カーサ(食物を包む葉、この場合は月桃(サンニン)の葉)で巻くことから「カーサムーチー」と呼ばれることもある。餅粉をこね、白糖や黒糖、紅芋などで味付けを行い、月桃の葉で巻き、蒸して作る。旧暦の12月8日(グレゴリオ暦では概ね1月)に、健康・長寿の祈願のため縁起物として食される。ムーチーを食べる旧暦の12月8日(新暦の1月下旬から2月上旬)は沖縄では最も寒い時期であり、この時期の寒さを沖縄方言でムーチービーサ(鬼餅寒)と呼んでいる。
沖縄ファリーマートさんがこんな記事を作ってくださってました。
日本では12月8日は「事八日」
この事八日は日本の各地では「不思議なものがやってくる」日なのです。
妖怪や悪神(地域によって異なり、一つ目小僧・箕借り婆・疫病神・ダイマナコ など)が家を訪れ、害をなすという。それを防ぐため、目籠・ハリセンボン・蜂の巣・ヨモギ・山椒・唐辛子・ニンニク・柊に刺した鰯の頭などを、戸口や軒下に掲げ魔除けとする。
ところで、ここまであれやこれや書いたところで、・・・・・臘祭と事八日へのつながり等までこまかく書かれている記事を見つけました!
もっと早く見つけていたらこんな長々書かずとも・・・・わかりにくい私の文章ではなく、最初からこれを紹介するだけで良かったのでは?!という・・(遠い目
臘八粥の作り方
2022年の臘八節は1月10日です。ですから、事八日も1月10日ですね。このような新旧入れ替わりの節目に、魔除けとして赤いものを食すのは良いことだと思います。
せっかくなので、臘八粥の作り方動画を2つご紹介しておきます。どちらも中国語がわからない方でも、見れば簡単にわかる動画です。
まずは鍋で煮て作る方法。
次に炊飯器で作る方法。
どちらも素材の味を楽しむ感じですが、もし食べる時に味が足りなければ調味料で味付けを足してもgoodだと思います。
七草粥はこちらでどうぞ〜。
それではまた次回!
■新しい視点と気づきの為の霊視セッション
※メディア実績※ VOGUE JAPAN
インタビュー掲載 「真夜中の占いの館・番外編」前後編
「夏至の開運記事」執筆掲載
辛酸なめ子著「魂活道場」記事収録
月刊ムー 総力特集「中間生の秘密」取材掲載
透視能力開発講座 取材掲載
Trinity 春夏秋冬福アクション特集記事 監修
Spiritual Healing Salon ハヌル
皆さまのフォローお待ちしております
無料音声配信番組⇒ ハヌルの霊能者ラジオ
Twitter⇒ https://twitter.com/hanuru_
Facebookページ⇒ https://www.facebook.com/himitsuhanuru/
アメブロで開運日配信してます⇒ 霊能者ハヌルのheart mind and soul
にほんブログ村
霊視 ブログランキングへ スピリチュアルメッセージブログランキング
上記の画像またはリンクテキストをクリックしていただくと、
ランキングサイトに一票が入ります。
応援クリックしていただけると大変励みになります。
※ブログ内すべての画像及び記事の無断転載使用はお断りします※
【福岡】開運ツアーレポ・呑山観音寺/志賀島/南蔵院
大家好〜ハヌルです!
先日約1年ぶりに行った福岡開運ツアーの様子をお送りします。
今回はこれまで定期的に台湾へおいでくださっていた、特に開運に熱心な開運実践家の方々とのクローズドツアー。昨年は幣立神宮・高千穂・阿蘇山などにご一緒させていただきましたので、約1年ぶりの再会です。メインは前回記事にさせていただいた佐賀は吉祥寺さんの結縁灌頂です。
その他に今回行かせていただいた所の一部をチラっとご紹介しますね。
・金印出土で知られる志賀島
篠栗四国霊場とは
篠栗四国八十八箇所(ささぐりしこくはちじゅうはちかしょ)とは、福岡県糟屋郡篠栗町にある、空海(弘法大師)を拝する88か所の霊場の総称である。篠栗八十八箇所または単に篠栗霊場とも呼ばれる。小豆島八十八箇所、知多四国霊場と共に、「日本三大新四国霊場」に数えられることもある。札所は、福岡市から東に12㎞に位置し、国道201号を挟む両側の山麓や谷の奥に点在する。1970年頃には年間50万人の遍路で賑わい、遍路宿が53あったが、その多くは農家が兼業で経営しており、農繁期は泊まることはできなかった[1]。
福岡で篠栗霊場はかなりメジャーだと思われます。というのも、四六時中TVの情報番組で取り上げられているのを見かけるからです。
内容はタレントさんの滝行や霊場巡りレポはもちろんのこと、札所に設置されたカフェの新作パフェやお花見情報だったり。なので、スピリチュアルやお遍路旅が好きな方以外でも、気軽に出かけられる郊外スポットなのかもしれませんね。
つまり、それだけ福岡の方には知名度が高く親しまれている霊場なのでしょう。一方巡礼のために全国からおいでになる方も少なくないようです。ただし!バスが廃止になっていますので、足が弱い方は、レンタカー等、車がないとちょっとアクセスは厳しいかも・・・。
岐阜にいる頃、東海テレビやCBCに中京テレビなど、在名TV局が知多四国霊場をこんなふうに取り上げているのは見たことがありませんでした。知多霊場はやはり、スピが好きな方やお遍路に興味がある方などには知られているかもしれませんが、篠栗の受け入れられ方とはちょっと違う感じがします。(とはいえ、コロナの影響で今は近場のスポットとして取り上げられてたりして?)
※観光ではないので、あまり写真は撮っておりません。このような時は写真を写すという気持ちがあまり湧いてこなくなります(汗)
篠栗四国霊場第十六番札所 呑山観音寺
まずは、以前からお世話になっているこちらのお寺へ。
篠栗町に八十八ある札所の中では最も標高の高いところに位置し、第1日目の遍路道の終着点、難所とされ、八十八か所の関所といわれています。
お遍路さん、参拝者からは「のみやまさん」という愛称で呼ばれています。
福岡の紅葉の名所ベスト10に必ず入っているのが呑山観音さん。駐車場についた瞬間、その美しさに思わず「わあ!!」っと声が出てしまいました。
これだけじゃないんですよ!見渡す限り色づいてました!
ここを抜けて階段を登った百観音堂には、文字通り100の観音さまがおいでになられ、内外ともに、絵に描いたような美しさ。手を合わさせていただけるありがたさ。
※公式HPからお借りした境内図
百観音堂の周りを燃え上がるように真っ赤なドウダンツツジが包んでいて、夢のような美しさに、一瞬ぼおっとなるほどです。
※公式HPより
本堂受付にて祈祷の申し込みをしていると、お坊さま方が私の名前(本名)を見てご存知でいらしたことにビックリ。本当にありがたいですね。(その記憶力を分けていただきたい・・・・)今回私は、母と弟の供養として特別大祈祷をお願いさせていただきました。
その後、副住職様にお誘いいただき、瑜祇大宝塔建立の見学へと。
この瑜祇大宝塔は完全な木造建築で、宮大工の技を尽くして建築されている最中です。このような建て方は現在なかなかできることではなく、日本全国で見ても貴重な例とのこと。
入り口から頭を少し中に入れると大変に良い香りがしていました。その香りはふと、岐阜の東濃檜を思い出させます。しかし、もちろんこれだけの太く長い木材は現在国産では難しく、ラオスのヒノキとヒバを使っているそうで(今は台湾ヒノキもなかなか難しいのだとか)、しかも、宮大工さんがそのために山をひとつ買われているのですって。
もし、少しスタートが遅ければ、コロナ等の影響で木材を運ぶこともできず、建立ができなくなっていたであろうとお話になられておりました。確かにそうだったかもしれませんね。
今回ご一緒させていただいていた中のAさんが、建立へ多大なご寄進をなさっており、そのご縁でお忙しい中をわざわざご案内くださったのかなと思われます。おまけで副住職様の運転するお車に乗せていただくとは、と恐縮しきりな私でした。
そしてこの日の夜は・・・
※公式hpより
夜景の綺麗なレッドフランマへ。
落ち着いてゆっくりお話ができる素敵なレストランでしたよ〜。
輝く福岡市街を眺めながら、語り合いたい時におすすめかも。もちろん、お肉の味付けがちょうどよく美味しかったです!お店の方の感じもとても良かったし、また一人でカクテル飲みに行きたくなっちゃいそうです。
志賀島へ
前回も同じメンバーで一周させていただいた志賀島。非常にパワーを感じる土地であり、再訪したいと願っていました。
日本史に出てくる金印「漢委奴国王印」が出土したことで知られています。
個人的には大好きなドゲンジャーズ的聖地でもあります♡
【衝撃の事実、発覚】
— ドゲンジャーズ【公式】 (@dogengers) 2020年5月10日
2020年4月12日
ヤバイ仮面が金印を手にするシーンから始まったドゲンジャーズ。
そして236年前の
1784年4月12日は......
志賀島で金印が発見された日だったぁぁあああ!!!!
ヤバイ仮面も農作業をしていたのだろうか...
(キタ)
福岡市博物館HPhttps://t.co/J22q0mIVtj pic.twitter.com/OsyDDecXo7
この海と空!!白い波!素晴らしい!
ここ志賀島には全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する龍の都・志賀海神社があります。(今回志賀海神社さんについては詳細を省きます)
一方歴史の舞台としても重要な土地
- 筑前国風土記逸文に神功皇后の三韓征伐の際に立ち寄ったとの記述が見られる[3]。これには古代の半島・大陸との海上交通における志賀島の泊地としての役割が反映されていると考えられる。地名説話として、志賀島が「打昇浜」(うちあげのはま、海ノ中道)と連なりほとんど同じ所といってよいということから、「近島」とよんだものがなまって「資珂島」となったのだと伝えている。
- 万葉集において、柿本人麻呂の「大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ」と詠まれる。“島門”とは博多湾への入口に位置する志賀島と能古島を門に見立てた謂い。万葉集で志賀島を歌ったものは、全部で16首になる。[4]
- 1274年(文永11年)、文永の役にて撤退する際に座礁した蒙古兵が志賀島で捕虜となり、うち220人ほどが首切塚(蒙古塚)で斬首されたとされる。
通り過ぎる車窓から蒙古塚があるのを見かけ、古き時代と歴史に思いを馳せました。そういえば、住吉神社にも柿本人麻呂が祀られていたように思います。
九州に来て・・・いままで教科書の文字でしか知らなかった人々を、同じように生きていた人として、かなり解像度が上がった気がします。
この日のご飯は
お昼は志賀島名物の海鮮丼。甘いゴマダレをかけていただきます。ごま鯖といい、こちらではお刺身を甘い味でいただくんですね。すっかりそれに開眼しております。美味しいですよね!!そのうち大分の「りゅうきゅう」にもチャレンジしてみたいです!
そういえば立ち寄った休暇村のアイスも美味しかったです。温泉も入ってみたいな。(パワーチャージに温泉は大事!)
この景色、ずっと見ていられます。志賀島の海と空に心が洗われました。
夜は市内に戻りまして。
ヒルトンシーホークにて晩ごはん。
※公式HPより
【公式】ブラッセリー&ラウンジ シアラ|福岡のホテルなら【ヒルトン福岡シーホーク】
コンセプトは、サンタが世界中のご馳走を集めてヒルトンにお届けしたよというもので、一足早いクリスマスを過ごしたような気分に。ハンガリーのグラーシュやラオスの麺料理など、多様なお料理がとっても楽しかったです!かなり人も少なかったので、これまたのんびり美味しくいただけましたよ〜。
そいや、先日ヒルトンシーホークのモールにインド系のお店が出店なさっているのを見かけた。ナヴァラトナも見てくれる的なポスターが貼られてたですよ。ガネーシャさまが大量に並べられているお店なので、ひとめで分かると思う。
— 霊能者 火水ハヌル@農暦生活 (@hanuru_) 2021年11月24日
ここのガネーシャさん、ちょっといいな〜と思うのもあったのですが、お値段がかなりよくて、外から眺めるだけで退散しました(笑
篠栗四国霊場第一番札所 南蔵院
次は福岡の宝くじ&金運パワースポットとして有名な南蔵院さんへ。
全国的にもかなり有名かもしれませんね。
福岡県篠栗町の静かな山あいに、ブロンズ製としては、世界一の大きさといわれる涅槃像で有名な高野山真言宗の別格本山・南蔵院がある。この寺の住職・林覚乗さんは、’95年ドリームジャンボで1等・前後賞合わせ1億3,000万円を当てている。
篠栗霊場の歴史は、慈忍という人物がこの地を訪れた1835年(天保6年)に始まる。(中略)江戸時代には侍が来て本尊の石仏を川にたたき込んで破壊したという伝承があり、初期においては藩による弾圧もあったようである。参拝者が増加するに連れ、加持祈祷をこととする多数の僧侶が入り乱れ、無秩序となった。このため、村民は、僧侶の事は僧侶の監督に待たざる可からずとして遂に高野山より南蔵院を移転した。その堂宇を竣工したのは1899年(明治32年)5月である。その後同院住職として山縣玄浄僧正の法弟なる林覚運師が赴任して、専ら同院の発展、霊場の整理を行い、88か所の霊場の総坪数3,550坪を南蔵院飛地境内として内務省の認可を得て、霊場取締りの本山と定め、更に報徳会を組織して霊場を受持つ僧侶の統一を図った[3]。
このように篠栗霊場の中では大きな役割を果たしてきたお寺さんです。
撫でられすぎてお腹だけ光ってますね(笑
HPの地図を見るとさほどでもなさそうだったのですが、足の悪い私には坂や階段が多かった印象です。そして、仏様が多く、なによりこのお不動様に目を奪われました。
まずは本堂をおまいりし、寺務所にて厄払い等の申し込み。 その後涅槃仏へ向かいます。
※公式HPより
金運上昇や宝くじ運アップを願う方は、途中の大黒堂におまいりをお忘れなく。寺務所とは違うお守りなども並んでいますよ〜。(写真は撮らず)
妙見堂を通り過ぎると、「三鈷の松」が。
弘法大師が中国から帰朝する際に、日本の地に伽藍建立の浄地を求め、空中に投げ上げた三鈷がこの松にかかっていたという伝説によるもので、九州では非常に珍しい葉が三本の松の木です。 葉を拾って持っていると「福徳円満」のご利益があるそうですよ。ちょうど足元に落ちていたので、記念にいただいてきました。(無理にちぎったりするのは駄目ですよ!)
そしてさらに階段を登ると・・・ドーン!
お、大きい!日本一の大きさだそうです!
山に囲まれた隙間に横になられた仏様とそれを照らす陽の光が、なんとも不思議な気持ちにさせました。指には五色の紐が結ばれています。
足もお素敵ですね。私の身長の二倍はありそう。
一人ひとりのお心を聞いてくださっているかのよう。
この涅槃仏の中には、ミャンマーから送られた仏舎利が納められておいでになります。そう思うと、単なる金運等ではない、より深いものを考えさせられます。夕方の西日を浴びて輝くお姿を拝みながら、極楽と往生についてを思った私でした。
この日の締めのご飯は中華。
全員中華大好きですので、美味しー!の言葉以外出ませんでした。久しぶりに日本の中華を堪能しました!なので食べるのに忙しく写真とってません(爆笑)
しゃぶしゃぶは佐賀から帰った夜でしたが写真まとめて入れておきます。これも思い出ですね。ここ、デザートのチーズケーキがとっても好みでしたの!
久しぶりのツアーを終えて
covid-19の影響で、長い間ずっと引きこもり生活をしておりましたので、こんなにでかけたのは本当に久しぶりでした。外食もほぼしていませんでしたので新鮮でした。
久しぶりの天神は想像していたより大勢の人が溢れていて、コロナ以前を知らない私はもう前に戻ったのかな?という錯覚をしそうでした。
福岡は本当にパワーに溢れた所だなと思います。いえ、九州が!
今後喪中のうちは感染状況を見ながら無理せずお寺さんめぐりができたらいいなぁと思ってます。ついでに美味しいものも食べたい!もしも「あそこいいよ!」という情報ありましたら、ぜひお教えください♡
それではまた次回!
■新しい視点と気づきの為の霊視セッション
※メディア実績※ VOGUE JAPAN
インタビュー掲載 「真夜中の占いの館・番外編」前後編
「夏至の開運記事」執筆掲載
辛酸なめ子著「魂活道場」記事収録
月刊ムー 総力特集「中間生の秘密」取材掲載
透視能力開発講座 取材掲載
Trinity 春夏秋冬福アクション特集記事 監修
Spiritual Healing Salon ハヌル
皆さまのフォローお待ちしております
無料音声配信番組⇒ ハヌルの霊能者ラジオ
Twitter⇒ https://twitter.com/hanuru_
Facebookページ⇒ https://www.facebook.com/himitsuhanuru/
アメブロで開運日配信してます⇒ 霊能者ハヌルのheart mind and soul
にほんブログ村
霊視 ブログランキングへ スピリチュアルメッセージブログランキング
上記の画像またはリンクテキストをクリックしていただくと、
ランキングサイトに一票が入ります。
応援クリックしていただけると大変励みになります。
※ブログ内すべての画像及び記事の無断転載使用はお断りします※