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【シャーマニズム】台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第五章

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 ※高雄意誠堂關帝廟前

 

今年も無事冬至を迎える事ができましたね。

 

昨夜は儀式等々、お忙しかった方も

多かったのではないかなと思います。

寝不足の皆様、お疲れ様でございました。

 

私も昨夜は、年に一度の儀式を行いました。

儀式の際に除災符と招財符を作成いたしました。

年に一度しか作れない特別符です。

 

 

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冬至春分夏至秋分と合わせて、

大きな4つの区分のひとつですので、

様々な文化圏で伝統的な儀式や催し物があります。

クリスマスは元々、この冬至を祝うものだったという

そんな話もあったり。

 

アジアでの冬至の源流の話は、

昨日もシェアさせていただいた私のアメブロ記事をお読みいただくとして。

 

ameblo.jp

 

西洋占星術的には、山羊座入宮ですね。

 

春分牡羊座夏至は蟹座、秋分は天秤座、

そしてこの冬至山羊座の4つの太陽のポイントは、

エネルギーが強く激しく吹き出すポイントなので、

活動宮と呼ばれています。

 

これから寒さが更に増していきますが、

地球の中、私達の中には、

新しい燃え輝く種が既に宿っていると思うと、

なんだかポカポカした気持ちになる私です。

 

ということで。

 

■台湾シャーマンシリーズ:目次■

 

台湾のシャーマン(童乩・タンキー)と私:第五章

 

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※日本人観光客に有名な三鳳宮。

何故そこにわざわざ日本人観光客が行くのか

地元民からすると謎と言われるスポットも多い。

(日本でも同じですね 苦笑)

  

・・・いよいよ、その時が訪れた。

中国動乱の強い影響下の中で生き残ってきた、

台湾シャーマニズム、その代表とも言うべき「童乩」。

書物の中でしか知らなかったその神憑りの様子を、

私は今、自らの目で目撃するのである。

 

それはいったい、どんな有様なのか。

その時私は、いったい何を感じるのか。

 

ただ、その他大勢の、ただの傍観者として、

いや、物見高い不躾な観光客として、そこに居るだけなのか。

それとも・・・・。

 

神憑る誰かをみたいという気持ち。

 

私のその時の素直な気持ちを言うならば、

本当はそんな事はどうでも良かった。

私は「見たかった」のだ。

とにもかくにも、霊能力者とか霊媒師と言われる人達が、

神懸かるその現場に居合わせてみたかっただけなのだ。

 

一般人が動画を撮影しネットに投稿するという事へのハードルが、

ほぼ無くなったと言っていい2016年では、

シベリアだの、アマゾンだの、

世界各地の様々なシャーマン達の様子を探して

視聴することが可能だ。

それどころか、現役司祭による悪魔祓いの様子ですら

ネット上に上がっている時代なのである。

録画だけではない。ユーストリームなどによって、

大抵の事はググればライブで見ることが出来てしまう。

しかして、今書いているこの出来事の時代には、

ここまで情報が溢れているわけではなかった。

 

勿論、まったく見る事が出来なかったわけではないし、

昭和以前の人々・・例えば鳥居龍蔵などの事を思えば、

私の知ろうとする意思と勉学への努力が

ただ足りなかったとしか言いようもない。

そうだったとはいえ、当時私は私なりに、

私以外の誰かが「神と触れ合う」その時を、

一度でいい、見てみたいと胸の内で願っていた。

 

常に自分を疑い責め続ける私 

私はいつも、そう、自分の事を疑い責めていた。

既に海外に顧客が居る状態であったにも関わらず、

そして、いろんな方から御礼を言っていただいたり、

結果を出していたにも関わらず、

それでも私は自分を疑う気持ちが消える事がなかったのだった。

 

 

どんなに喜んでいただいた所で、

例え私のセッションの後で、素晴らしい事が起こったにせよ、

私がもたらしたものだとは考えることはなかった。

「当たっている」という結果についても、

ただ恐ろしい確立の偶然が重なっていて、

まぐれが続いているだけなのではないかと考えたりしていた。

そう、何年も、何年も、

ただただまぐれが続いているだけなのだと。

 

それは私の”おかげ”などではない。

結果は全て、その方自身の力なのであって、

どんなに喜んでいただいても、褒めていただいても、

そこに喜びを感じるのは違っている。

 ハヌルさんのおかげだと褒めていただいて、

うっかり喜びを感じている自分に気づく時、

なんと私は図々しく恥ずかしい人間なのかと

自分の卑しさを激しく責め続けた。

 

この考えは誰かに教えられたものではなかった。

なぜだかいつからか、私の中にあったものだ。

 

もしかして、私に指導者がいたなら。

そうしたらこのように自分を責め疑うことは無かったかもしれない。

疑いの念が湧いても、その疑いそのものについてまで、

正誤を正してもらえたのかもしれないと思うからだ。

 

それでも、私には誰もいなかった。

自分が陥っているこの葛藤状態について

相談できるような人はいなかった。

そして、恐らくそういう人は

出てこないだろうということも分かっていた。

 

 それでも全てがあって全てが無い世界とともにある

その一方で、確かに私は自分が、

疑いようのない「存在」というものと

コミュニケーションをしていることを知っていた。

それは「知っている」としか言いようがない状態であり、

否定することなどできる筈もなかった。

私が知っているそれは、あまりも大いなるものであって

その御名を口にすることもしがたいただ敬い畏れるべき存在で、

私ごときが否定することなど、しようすもなかったのだ。

 

それはかくも恐ろしく甘美なる運命の言葉。

けれど。

やはり自分は、本当は「違う」のではないのか。

 

心を病んだ者は、自分の世界を本物だと

そう信じているというではないか。

 

自分の「視ているもの」「聴いているもの」

「香る」「触れる」「感じる」その全てが、

どれもみな、ただの精神的な病の現れなだけではないのか。

いや、それならまだましで、頭はまともな癖に、

過剰な妄想癖がこのような状態を生み出しているだけの、

ただの愚かで恥ずかしい人間なのではないのだろうか。

 

いいや、問題はそこではない。

恥ずかしいよりなによりも。

 

仕事はきちんと真面目にやらせていただいているつもりだった。

しかし、もし、これがまったくの病か何かだということになれば、

私はお客様に対してどう償ったらよいのか。

償おうとして償えるものではないのではないのか。

そう考えると、その恐ろしさに胸が潰れそうな気がした。

 

 

 そうしてやがて。

 

もしかして、誰かが神がかる様子を見たのなら、

「本物」だとされる人がそうなる現場に立ち会えたなら、

自分の是非がわかるのではないだろうかと、

いつからか考えるようになっていった。

 

それだけではない。

もし立ち会えたなら、その神憑ったシャーマンか、

はたまたシャーマンに降った何者かによって、

激しい叱責と「断罪」をされることを

表面的には怯えつつ心の奥底で期待していたのだった。

 

『お前はただの精神病だ』

 

その運命の一言を待っていた。

 

恐れながら怯えながら、待っていたのだった。

 

 

そして始まる童乩の時間

まるで山下清画伯のような童乩の名は邸と言った。

 

邸さんは、まるで炭酸を飲みたてでもあるかのように、

げえげえと激しいゲップ音を立てていた。

もはやお行儀がどうのという世界とは

まるきり一線を画した状態である。

壊れかけの人間ポンプなら、このように音を立てるのだろうか。

そうしながら正義宮の中を行ったり来たりと、

一時も休むことなく、うろうろとうろつきまわる。

 

 

やがて、ふっとまぶたを閉じたと思うと、

唐突に、祭壇の前に据えられた小さな薄い座布団の上に腰を下ろし、

そのまま胡座をかき胸の前で両の掌を合わせる。

そして口の中でモゴモゴと何かを唱えている。

 

廟の中の空気一変していた。

 今更ですが、廟とはお寺みたいなコミュセンみたいな。

台湾の廟は、日本で言うならお寺のようなものだ。

そこは様々な神々が祀られる人々の信仰の場である。

しかし、場所によって廟は、

小中学生が楽器を習う場であったり、

地域の人々の将棋の場であったりと、

憩いの場のような使われ方をしている所もある。

 

この正義宮も小さなローカルな廟と言った趣で、

中はさほど広くはない。

縦長のその中はおよそ、40~50平米といったところだろうか。

正面に大きな天公の神像と祭壇があり、

それが廟のスペースの大半を占めている。

その前や後ろにはぎゅうぎゅうにいろんな神像が収められていて、

人間がいられる隙間は少なめだった。

そして、その隙間に並べられた小さな小さな椅子の列には、

ご近所の老人達が並んで座っておしゃべりをしており、

その背中にひっつくようにして少し大きめのTVが

のど自慢かなにかの番組を流しているのが見える。

ここに神像がなければ、地域の公民館か何かかと勘違いしてしまいそうだ。

 

 

そう思わせるほどに、人々の雰囲気は和やかで、

おしゃべり会でも開催しているのかとでもいうように、

楽しげで穏やかだった廟は、今や一変し、

人々はみな一心に童乩を見つめ

神が降るその時が近づいてくるのを待っていた。

どことなく興奮したような、

それでいて怖いほど張り詰めているような、

そんな奇妙な空気が場を満たしている。

 

廟の入り口付近からは、誰かが小声で何かを囁く声が響いていた。

もしこれが日本語であれば、

ぺちゃくちゃうるさいと思ったかもしれない。

ところが中国語のわからぬ私には、まるでその声が、

この異様な雰囲気と光景にピッタリな、BGMのようにも感じる。

 

そしてそのBGMに対し激しいドラムの音のように、

邸さんが口から放つそのゲップは、一段と酷い音を立てていた。

 

まぶたを閉じたまま口の中で何かをつぶやいている邸さんの体は、

胡座座で座ったまま、前へ後ろへ右へ左へと、

ゆらりゆらり揺れ続けている。

最初はごく小さかったその動きも、

段々と揺れの幅が大きくなっていき、

やがて座ったままバランスを崩して倒れ込んでしまうのではないかと

そう思うほど大きく揺れ動くようになっていた。

 

それを眺めながら私は、ふと何気なく入り口を振り返る。

すると、人垣の隙間から廟の外を行く通行人の姿が見えた。

私が廟へやってきた時には、まったく通りには人がいなかったのに、

何故か今は人が行き交っている。

 

日常と非日常の重なり合いがスピの世界なのだ。

わずかな隙間から見える通りの人々は、

ミニスカートにブーツといった女子や

今時の若者といった感じの男子達であり、

彼らは一瞬こちらのほうに目を向けるものの、

誰も関心を向けず通り過ぎ去っていく。

廟の中が老齢者だらけであり、

邸さん以外身動きもしないで見守っている私達と

見事に対照的であった。

 

若者達が歩いて行るそこと童乩の座っている場所は、

距離にすればほんの1mほどで、

今まさにそこに神が降臨しようとしているその向こうで、

若いカップルが腕を絡ませながら楽しげに歩いていっている。

目の前でこんなにも見事に「日常VS非日常」が分断される所を

これまで私は経験したことがなかった。

 

(ああ、これが聖と俗の本質なのだ。

これが「世界」というものなのだ)

 

 

全てがあって全てがない。

ハレ(特別)とケ(常)は、

ケがある故にハレであり、ハレある故にケであること。

 

気付きのような、何かがひらめきとしてやってくる。

しかし、まだ言葉にはならなかった。
やがて邸さんが大きな声で叫び始めた。
・・・・いよいよ、神が降りるのだろうか。
《第六章へ続く 

 

ブログランキング霊視カテで一位をいただきました。

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